同じ靴を履いてる

生活について

女子競輪選手と炒飯と日曜天国

女子競輪選手のプロフィールを50音順に見ていきながら、太もも周りの太さを自分と比べてみたりして、うわこんな小柄なのにパンパンだ、すごいなあ、なんつって1日が終わっていく。なんかこう、冴えない日が続いている。スカッとしたい、バッチリいきたい、そんな気持ちはあるが、どうやったらそうなるのだっけ。思い出せない。そもそもそんな、バキバキにキマった状態だったことがかつてあっただろうか。扇風機の内側に隠毛が貼り付いて動かない。これスイッチ切ったら落下するのだろうか。全然関係のない話。昼に久々にラーメンを食べた。よせばいいのにチャーハンまで付けたら最後のほう苦しくて苦しくてものすごい汗をかいてしまった。ブタのようだよな。千と千尋をはじめジブリ映画のリバイバルがかかっている。全然関係のない話。冴えないのだ。とにかく。

飯を食っている時、唐突になんで俺死なないのだろうと思った。これまでもなぜ俺は生きているのだろうと考えることはあったが、なぜ死なないのだろうという疑問が急に立ち上ることって記憶にない。たぶん、まだ何かしら人生に期待している部分があるから死なないのだろうと思うけど、なぜ生きているのかと訊かれればそうは答えないような気がする。楽しむため、勝つため、残すため、記すため、気持ちよくなるため、祈るため、当てるため、結ぶため、まあなんとでも言える。なんとでも言えるが、どれもズバリではないような感じがある。死にたくないため。近いかもしれない。でも生きるのも面倒臭いんだよな。なに言っちゃってんの。腹一杯食ったのがよくないのかもしれない。ぼうっとするな。眠いのとも違う。最悪だ。負の感情の炒飯。食わなきゃよかった。

日々あたまが悪くなっている感覚がある。本でも読もう。本を読んでもかしこくなるわけではないが、物語に触れれば多少は気持ち晴れるというか、物語分あたまが満たされることは間違いないから。なにかやったらなにかやった分だけ満たされる。そういうシンプルな星のやりとりで一旦は。

日曜天国を聞いてあとは惰性のような日曜日。中澤さんがリスナーからの便りに嗚咽するシーンは何度も遭遇しているが、今日は安住さんが感極まって声をうわずらせていた。さて16時。まだ取り戻せる時間だが、こういったタイミングでいまの境遇が痛い。卵の薄皮のような膜に覆われて俺、空は曇っているが雨はとりあえず止んでいて、湿度がすごくてやりきれない。まず何かしら小説。読みさしになっている又吉の『人間』か、サリンジャーでも読むか。こういうとき、だいたいサリンジャー町田康だな。感謝、グレイトフル感謝。