同じ靴を履いてる

生活について

としまえんとアルバイトとグッド・ボーイズ

としまえんが正式に8月31日をもって閉園になるとのニュースが飛び込んできた。今年の頭だったかに閉園予定のニュースを受けてから数ヶ月。随分早い幕切れ。何度も何度も遊びに行ったというわけでもないが、実家が西武線沿線の僕にとってはすぐいける遊園地だったし、中学の卒業遠足もとしまえんだった。それなりに想い出も思い入れもある。大学生の時、プール内のスイーパーとしてひと夏だけアルバイトをしたこともあった。くすんだ水色と白のストライプ柄のクタクタのシャツと真緑のズボンに帽子というチンドン屋のような出で立ちでプール内に設置されたゴミ箱のゴミを回収して回る。夏の日差しがとんでもなくキツく、水に入ることができる業種にすればよかったと後悔した。1時間に1回、10分間の休憩があり、その間に吸うエコーが人生で一番美味いタバコの味だったように思う。

学生の夏休みらしく、人を好きになりかけたりもした。その人は武蔵野大学の一年生だった。どういう話の流れだったか思い出せないが、セサミプレイスの話をしていた。入園の際に昇る長いエスカレーターが印象的だったとか、空気が噴出しているモニュメントを覚えているか等、それなりに思い出話として盛り上がり、また行きたいなあと言うとその人、行きたいですね〜なんて返事してくれたが、その時にはもうセサミプレイスはとっくの昔に閉園していたのだった。その人の顔も名前も思い出せない。髪が黒く短くて、笑顔というか、笑い方が素敵な人だった。彼氏がいた。いるよなあなんて思った。

反対に僕に好意を抱いていたであろう人もあった。同い年で、その人は社員として豊島園に務めており、バイトを束ねているリーダー的な人だった。夏のアルバイト期間が終わってから一度、突然飲酒を申し入れられ、結局朝まで付き合った。僕のことを決まって「キミ」と呼ぶ人だった。なぜかこの人は顔も名前も思い出せるのだ。僕は人に好きなタイプを訊かれたとき顔が薄い人と答えるのだが、もう記憶にも残らないような薄い顔の人が好きなのかもしれない、実際。

そんな、何の事件も起こらず恋も実らない『アドベチャーランドへようこそ』のようなアルバイト生活があったとしまえんも、セサミプレイスと同様に閉園する。営業を続けていたとしても今後の人生でおそらくは数回訪れる程度の施設だっただろうが、それでもなくなってしまうのはどこか寂しさがある。コロナウイルスの影響で休園となってから数回、豊島園駅には行った。映画館があるから。としまえんという母体を失った豊島園駅周辺は、随分閑散としていた。ゆくゆくはハリー・ポッターがこの駅に魔法を掛けるのかもしれない。そして将来、自分の子供をハリー・ポッターランドに連れて行き、「かつてこの街にはとしまえんという遊園地があってじゃな・・・」で始まる、マッドマックス的世界観の中、かつて存在していた地球の文明について遠い目をして語る老人のような講釈を聞かせ、子供から煙たがられることになるかもしれない。僕がそんな風にならないためにも、としまえんにはもっと長い間歴史を刻んで欲しかった。

そんな気持ちを抱えて今週末観に行った映画、『ホーンテッド』と『グッド・ボーイズ』。トーホーシネマズ新宿。いやとしまえんで観ろよって話なのだが、残念がら都内ではいずれの映画もトーホー系でしか掛かっておらず。『ホーンテッド』はイーライ・ロス製作のシチュエーションホラー&スプラッターで、期待通りの面白さ、ではあるが期待を大幅に超えては来なかったかなというのが正直。チョー怖かったけど。

『グッド・ボーイ』に関しては、ひと記事独立させて書きたいほどの傑作。監督はジーン・スタプニスキー。脚本はジーン・スタプニスキーとリー・アイゼンバーグ。このコンビは『紀元1年がこんなんだったら』等と同様で、アメリカのコメディ勢力、ジャド・アパトーの一派。製作に同2名に加え、同じくジャド・アパトー一派のセス・ローゲンエヴァン・ゴールドバーグ。アメリカのコメディ映画好きならこの座組みの時点で超期待作なわけで。今回はセス・ローゲンエヴァン・ゴールドバーグが共同脚本を務めた2007年の映画『スーパーバッド 童貞ウォーズ』の空気がかなり色濃く出ており、つか話の流れはまんまスーパーバッド、そこに輪をかけて強烈な下ネタといった塩梅。全編どこを切り取っても下ネタが顔を出す、下ネタの金太郎飴状態、とまでは行かずともかなりの密度で仕込まれている。それでもスーパーバッドがそうであったように、後半なんかは結構泣かされるシーンもあり。今年は映画の最終回なんじゃないかというほどコンスタントに傑作が封切られている中、この映画も今年ベストに挙げてもいいと思えるくらい笑わせてもらった。シンプルに元気が出た。直後エプソムカップで負ける。吉野くん元気を出して。