同じ靴を履いてる

生活について

花粉とファミリーマートと可愛い店員

逆に地球、大丈夫だろうかという陽気。寒かったらイヤだなと思いながら一か八か、シャツ一枚で外へ飛び出して散歩。日陰は少し肌寒い感じはあるものの、日当たりのもとでテクテク歩いていると汗ばむくらい。公園では半袖の子供が走り回っているし、一旦マスクを外して空気を吸い込むと、春の匂いで胸が一杯になる。暖かな空気というのはどうしてこう、長閑であると感じるものなのだろうか。コロナ禍でございます。それはそれとして花粉が途轍もなく。容赦もなく。さすがに土曜、日曜とこのような天気だと飛沫量も増えるのだろうか、くしゃみが止まらず目も痒くて仕方がない。これがあと2ヶ月以上も続くと思うと、ちょっと憂鬱にもなる。

天気がめちゃくちゃ良いからって特にやることもなく、そう言えば子供のころ水泳をやっていた時は大会の度によく行ったものだけど大人になってからは全然行ってないな、でお馴染みの辰巳・新木場エリアを軽く散歩したのち帰ってきて、なんか靴もずいぶん汚れてきちゃったし買いに行こうかなって自転車で中野まで、ABCマート無印良品を見て回ったが、別に急を要するわけじゃないし、と汚れた靴で再び帰る、などという徒然草を煮詰めたような意味なしの移動を繰り返すうち、なんだかんだといい時間になってくる。

隣のファミリーマートでアルバイトをしている可愛い店員がいる。ここ最近はコロナ禍の影響もあり異性とのコミュニケーションが全く取れていないという状況も手伝ってか、妙に魅力的に映ってしまうのだからいけない。買い物をして、笑顔で「ありがとうございます」と言ってくれる、これだけで心ときめかされてしまっているのだから随分と弱ったものよな。愛想がいいのだ。愛想がいいから可愛く見えてしまうのか。なにせ本当は、いかに可愛い可愛い言ったところで、マスクに覆われた顔面で得られる情報量など高が知れていて、下世話雑誌の風俗情報で顔の下半部を手で隠している写真よりもなお少ない情報しか持ち合わせていないのだから。それでもコンビニ店員に心ときめいている自分を俯瞰で見るごっこ遊びを遊べるほどの冷静さは無いように思うし、彼女がレジだとやったラッキーなんつって浮つくし、その浮つきを押さえつけるようなトーンで言う「三番ください」の声は気色悪い。

とは言えここに、恋愛のような感情があるのかと言えばそんなことはなく、あくまで店員と客という関係性のなかで発生するちょっとした摩擦熱で暖を取っている程度のもので、この店員と客の関係性を店外でも求めるようになってしまえば、果ては迷惑なストーカーか、相手の心情を何も考えられず思いの丈を発するテロリストになるのがオチなのだ。無論、店員と客の関係から発展する恋愛があることもわかるし、身近にもそういう人間を見たこともあるが、少なくとも僕はそっちの星の人間では無い自覚もある。そもそも素顔も知らないし。

永遠に何も発展することがないことを前提としたコミュニケーションはラクだ。店員は店員として客に接し、客は客として店員に接する。何も発展しないまま、お互いマニュアル通りに用事を済ませ、その中でほんの少しだけ、感謝したり破顔してみたり等のスパイスを加えたりもする。しかしどこまで行っても店員は店員だし、客は客だ。これが通常の男女関係であるとそうはならない場合が多く、こちらがアプローチをかければ、相手がこちらに興味がなければ去っていくし、興味があれば近づいてくる。ああ、一生こんなぬるま湯みたいな関係が続けばいいなあと思っても向こうは結論を出すように迫ってくるし、こちらの動きの遅さで何度か煮え湯を飲まされてきている。いやしかし、これはあれだな、さも男女関係全体のようなスケールでものを語ってしまっているが、個人的な問題だな。

兎にも角にも。コンビニ店員にキュンキュンしているのも結局、異性とのコミュニケーション不足に起因しているように思われるが、それじゃあめっちゃコミュっちゃろうというのも、時勢的なところもあってそこまで前向きにはなれず、とりあえず僕は隣のコンビニにって三番の呪文を詠唱しに。店員は店員として客に感謝し、客は客として店員に感謝する。感情の有無はさておいて。