同じ靴を履いてる

生活について

春と1.5倍速と10秒スキップ

春が大暴れしている。洗濯物を干し、目的もなく家を出て、イヤホンからはナイツのちゃきちゃき大放送、そんで電車に乗ってどこか。何となく中野坂上で下車し、山手通りを北上する。春が大暴れしている中、あまり景色から春らしさを感じられない道をだらだら歩き、東中野、落合を通過し中井くらいまで歩いたところで、これ以上北へ進んだところでという気持ちになり、妙正寺川を西に折れ、大回りで中野駅の方へ向かう。このまま歩いて帰っても良かったのだが、ちょうどいいタイミングでバスが来たのでそれに乗って家へ戻る。なんか、四月になったらしい。色々と生活が変わる人がいて、何も変わらない俺がある。近くのファミリーマートでアイスコーヒーを買い、テキトーなパスタを作り食べ、ぼーっとしている。

週中、各種動画配信サービスで映画やドラマを1.5倍速で見たり、セリフがないシーンは10秒スキップを繰り返して見ることが普通に行われるようになっていることに対し、意見している記事を見た。まあ、いいじゃないの。そう思う。別にいいじゃん。そんなこと。みんな話題についていくのに必死なのだし、世の中には娯楽が溢れかえっているのだから。1.5倍速で映画鑑賞したり、飛ばし飛ばしドラマを見たり、YouTubeのネタバレのまとめ動画でアニメを知ったっていいし、そこで得られた知識をひけらかしてもいい。全部オッケー。興味がないから。

2時間の映画が理解できなくて10回見て何とか噛み砕けるようになった人の感想や批評よりも、その映画の内容と趣旨を10分に要約した動画を見た人のそれの方が、何となくそれっぽい、滋味深い、賢そうに聞こえる場合だってある。だったらわざわざ映画を見る必要ないと思うならそうすればいいし、まとめだけを見て理解したつもりになるのなんか言語道断と思うのなら本編を見ればいい。「1.5倍速で見たり、スキップしながら見ることで、本当にその作品の意図が伝わるのだろうか」なんて着地のさせ方をしている記事がそれなりに拡散され、賛否を集めているという地獄。本当は皆んな、どうでもいいんじゃないですか。確かにそういう鑑賞の仕方をする人が増えすぎて、そういう鑑賞の仕方をする人向けのコンテンツしか生まれない、という状況になったら困るけれど、果たしてそこまで飛躍するだろうか。

昔、「映画館で寝てしまっても、その映画を見たと私は言う」といった旨が記されたブログを読んだことがあったが、僕は断然そっちを支持します。映画は別に、寝ててもいい。僕はさすがに途中で寝落ちしてしまった映画を鑑賞済みのフォルダーに入れられはいないけれど、そういう感覚自体はよくわかるし、そっちの方が楽しいと思う。作品を体験するという態度においては。

どうでもいいなんて書きつつ、愚痴っぽくなってしまった。恥ずかしいやつだよお前は。そんな気持ちを中和させようとジャランなんつってギター弾いたりして。いやはや、天気が好い。

珍しく夕方から予定がある。緊急事態宣言も明けたしってんで、飲みに誘われている。あまりこのタイミングで、という気持ちもあったが、結局はそれに応じてしまう。人とのコミュニケーションが欲しかったのかもしれない。

有吉が結婚した。4月1日に入籍すれば、離婚した時にエイプリールフールで逃げられるし、エイプリールフールで逃げるくだりはめちゃくちゃ寒いので、そうならないようにと離婚の抑止力としても一役買ってくれる。何にせよ、明日のサンドリが楽しみで仕方がない。そうやって今日の夕方を待つ。