同じ靴を履いてる

生活について

祖父と猫と地震

荷物の整理を手伝って欲しいという依頼があり、久しぶりに家族で、祖父の家を訪ねた。実家からは車で、自分はひとり電車で直接向かうことになっていたが、最寄りの駅に着いても祖父の家までの道順を覚えていないことに気づいた。子供の頃、何度もひとり電車で向かった家だったが、駅の南北どちらの出口から出ればよいのだったかも思い出せない。結局電話して住所を聞いて向かう。歩いているうちに少しづつではあるが記憶が戻ってきていた。

巨大な集合住宅の3階から、もう枯れてしまってい鉢植や、しまいっぱなしになっている物品をまとめて所定の場所へ捨てに行く。まだ70後半か、80前半くらいだろうと思っていた祖父も、聞くともう86歳と、90の方に近くなっていた。祖母に先立たれてから約15年。見た目も若く、長生きしている。恋人がいるのがいいのかもしれない。

僕は祖父が苦手だった。自分の良いと思うものは人の良いと思うもの、という押し付けがましさがある人で、今も毎年正月には、こちらが使う予定のない手帳を、律儀に10年以上送り続けてくれている。本人が感動した書籍には、ご丁寧に感動した箇所に付箋まで付けて送り寄こしてくれる。こちらの意見や趣向は二の次で、とにかく自分の良いと思うものは人にもその良さを分かってもらいたい、という人なのだ。

それから、自分の歴史や功績に対するひけらかしも聞いていてキツかった。いや、あからさまではないのだ。「俺の若い頃はこうだった」「俺はこんな仕事で実績をあげた」というようなことを、鼻息を荒くして叫ぶようなタイプではなく、なんとなく、鼻につく感じというか。自分の寄稿した文章をプリントアウトしてわざわざ送ってくるであったり(無論、筆者の箇所には赤線が引っ張ってある)、年賀状の自分の名前の横に「Photo Essayist」と記載する神経であったり、そういった小さな諸々が鼻につくのだ。

片付けもひと段落し、「久しぶりの家族団欒だから」という理由で、半ば強引に卓に着かせる祖父。淹れられた茶をすすり、しばらくは皆、祖父の話に耳を傾けていたが、ほどなくして散り散りとなり、各々が好き勝手喋り出し、結局祖父は僕にだけ語りかけてくる。昔からこんな感じだったなと思う。なぜか祖父は僕に対し話のわかるやつ、という評価であり、確かに実際のことろ、話のわかるやつなのだった。正確に言えば話のわかるやつ、というより話を聞いてくれるやつか。僕は祖父の前で、家族の誰より良い子なのだ。

例のごとく、過去の自分の話を滔々と語る祖父。もう90前なのか、という驚嘆と哀愁がその話を聞くエネルギーを自分に与えている。もう、90前なのだ。ひとしきり話を終えた後「こうやって話すのは、自分のこれまでの人生が、誰の記憶にも残らないのが不安なんだ」と漏らす祖父を見て、そうだね、と言った。話を聞いてくれてありがとう、今日は来てくれてありがとう、そう言って会話は終わった。

もう90前になって、人を憎むようなことを言わず、誰彼を差別するような態度も見せず、ただ毎日祈りを捧げている祖父。そこがあたなが信じているキリスト教とは関係がないかもしれないが、天からのメッセージが聴けるという理由でアイルランドのタラの丘まで行ける好奇心は、Photo Essayistなどと自称せずとも尊いものよ。

ただ黙って話を聞いてやるという優しさもある。あなたの語る自らの人生はすべてキャッチすることはできないし、聞き流してしまっているところはあるけれど、あなた自身を忘れることが無いようにここに書いておきましたので、安心して天に召されていただけますよう。もっともここは、あなたがOBとして寄稿したらしい上智大学グリークラブへの文章と比べれば、誰が見ているのかもわからないような場所ですが、それでも。

いったん実家へ戻り、病気を患い検査のため一日入院していたらしい猫に触れ、電車に乗って家へ帰る。その日はぼうっとして過ごし、23時過ぎに大きめの地震。少し酔っていて、揺れに身を任せながら、これ以上大きくなったらどうするんだろうなあと、他人事のように考えている。東北地方では最大震度6強。僕たちは色々と考えなければいけないのかもしれない。