同じ靴を履いてる

生活について

夢と花火といつも何度でも

少しアルコールが残っていた。携帯の灯りが眩しく目を擦る。深夜の1時だった。前の晩、ラーメンを食べてからの記憶がない。いまこうしてベッドの上に寝そべっているのだから、たぶん帰ったのだろう。どうも二度寝するほどの眠気もなく、かと言って本を読めるほど透徹とした頭も持ち合わせていない。なんとなくグズグズやっていると2時、3時。スーモやホームズ等の賃貸ポータルサイトの情報がまとめて見られるアプリを起動し、家賃の予算はオーバーしているがなかなかいい感じの物件が見つかり、不動産屋に紹介が可能かの問い合わせメールを送る頃には空は薄っすらと白んじていた。風呂に入らずに寝てしまったせいか、髪も、顔も、薄い油膜を張っているような気持ちの悪い感覚がある。そのまま起きていようかと思ったが、そのまま一日を終えられる自信もない。とりあえずシャワーを浴びる。もうそろそろ6時になる。雨が地面を打つ音がうっすらと聞こえてくる。

「この部屋には4人の女の呪いがかけられているんだ」と男が言った。僕はその男に見覚えはなかったが、この部屋は僕の部屋であるはずだった。テーブルの上に四肢のないトルソーのような女体が4つ並んでいた。啜り泣きと怒号と悲鳴が確かな質量をもって耳に覆い被さっていた。「お前はこの部屋で、一生呪われ続けて生き地獄を見ることになる」

夢と現実の区別ができないまま、頭は覚醒せず、目だけが開かれている。10時くらいだろうかと思ったが、時計を見るとまだ8時前だった。もう酒は完全に抜けているが、とても憂鬱な気分だった。なんとか日常を取り戻そうと本を読み、ナイツのちゃきちゃき大放送を聞き、少し馬に賭けてみたりする。外は雨が降ったり止んだりを繰り返している。

狙っていたメーンレースを清々しいほど大外しして16時前。4連休ももう残すところ1日と少々。どうしようかなって、このまま1日が終わっていくのもなんなので、映画を観にいくことにした。

大きな爆発音が不定期に、断続的に鳴り続け、靄がかった墨色の夜空が明滅を繰り返している。花火があがっているらしい。音のする方に硝煙がのぼっているのが見えるが、花火の閃光それ自体はうまい具合に見えないようになっている。高い建物に登る必要がある。花火はとしまえんからあがっている。

マンションの住民は通路に出て、身を乗り出してみんな同じ空を見ている。おそらく豪華な花火があがったのだろう、小さい女の子の歓声が耳に心地よかった。すれ違いざまにカップルが「としまえん最後の花火だね」とやりとしていて、その場にしゃがみこんで泣き出したい気持ちになった。千と千尋の神隠しを見た帰りだった。

いつもそうだ。宮崎駿の映画には、本当に純粋な、真面目さがある。魔女の判子を盗み出し瀕死のハク。千尋は釜爺に、ハクが盗みを働いたことを銭婆に謝りに行きたいと申し入れる。人を護るという覚悟、正当なことを正当に行うという勇気。絆されていく。お前は一体なんなのだと身につまされる。真面目に生きたい。生きなければならない。

いつも何度でもに耳を澄ませている。「粉々に砕かれた鏡の上にも新しい景色が映される」という歌詞に、僕は何度慰められたろう。本当に、その通りだと思う。すべて、心から。最後の夢花火がとしまえんからあがっている。花に嵐のたとえもあるさ。それでも新しい景色は映されるのだ。