同じ靴を履いてる

生活について

掌編小説『竜田揚げ弁当とテレビ』

3連休前の金曜日だがどこかへ飲みに行こうという気にもならず、まっすぐ家路についた。ラーメンでも食べて帰ろうと思い、最寄駅の一つ手前で下車し、前々から気になっていた目当てのラーメン屋を覗いてみると2、3人が外待ちしていたので、どうでもよくなってそのまま歩いて自宅に向かった。陽はまだ高く、空気はぬるかった。家の近くのコンビニで竜田揚げ弁当と発泡酒を2本とハイボールを1本買う。レジはいつもの苦手な店員だった。挨拶も、会計金額を読み上げることもせず、一切喋ることがないので何を考えているのかわからない。受け渡されたビニール袋に若干のぬめり気があるのもいつものことだった。別のコンビニにすればよかったと後悔した。

家に帰ると家を出た時のままの姿で部屋が俺を出迎える。家は聖域に近い。俺がこの部屋に変化をもたらさなければこの部屋の中は永遠に変わることがない。今朝脱いだ寝巻きがベッドの枕元に畳まれており、飲みさしにしていたコーヒーがテーブルに置かれたままになっている。腹は減っていたが、先にすべて済ましておきたかったので、風呂に入ることにした。湯を張るのも面倒なのでシャワーだけで済ませた。

電子レンジに竜田揚げ弁当を入れて温める。冷蔵庫から先ほど買った発泡酒を取り出して缶のまま喉を鳴らして勢いよく飲む。誰かのために生きる時間が終わり、自分のためのだけの時間が始まる。それを知らせる号令が頭の中に響く。それはただ電子レンジが温めを終えたことを知らせる音だったかもしれない。日中に奪われていた幸福の権利を取り戻そうとするように、強引とも言えるスピードで発泡酒を胃に流し込んでゆく。こういった行為が幸福に繋がるとも思えないことは理解していたが、手っ取り早く幸福を錯覚するのには都合がよかった。

弁当をつまみに酒を飲みながら何となくテレビをつけるとイロモネアがやっていた。普段であれば絶対に見ない番組だが、少し酔いが回り始めていることも手伝って、今なら冷静に見ることができるかもしれないと思い、テレビを睨んだ。

俺は"ヤツら"が出ている番組は基本的に見ないようにしていた。俺の家庭がそのような教育方針であったせいもあるかもしれないが、俺は俺自身の感覚として"ヤツら"のことをよく思っていなかった。"ヤツら"が何をしたという訳ではなく、生理的に無理というのが正しいのかもしれない。それは人を嫌うにはあまりに幼すぎる理由であることに違いはないが、"ヤツら"は人ではないのだから仕方がない。そのような考え方が、本当は間違っていることも理解していた。だからこそ"ヤツら"との共存を声高に謳い、今も実行し推進しているウッチャンナンチャンの番組は、自分の器の小ささを自覚させられるようで、視聴するのに気力が必要だった。しかし今日なら。三連休前、仕事も早く終わり、まだ20時過ぎだばかりで、このように酔いが回っている今なら。

番組はちょうど始まったばかりで、司会のウッチャンナンチャンが舞台上でトークをしている。観覧は人間と"ヤツら"がちょうど半々くらいの割合で埋まっている。

ウッチャンナンチャンが今の体制になってからは1年ほど経つ。テレビのテロップで紹介されていたが、今のナンチャン、南原清隆は4代目らしい。3代目が覚醒剤の所持で逮捕されてから1年も経っていることに、時の経過のスピードを思い知らされる。

ウッチャンの「いい加減に殺してくれ」というギャグで会場が沸いている。ウッチャンは今年で157歳になる。遅老薬の所為だろうが、見た目も全く老け込んだところがない。"ヤツら"との共存の旗手であった内村光良は、初代南原清隆の反対を押し切り、俺が生きていることが一つの象徴になるのなら、と当時"ヤツら"からもたらされた新薬を服し、今もイロモネアの司会をやっている。俺はウッチャンの、正義の目が怖かった。付属の七味マヨネーズを使わないまま竜田揚げを食べ進めてしまっていることに気づき、最後の一つに全てを絞り出して掛ける。発泡酒が空になったので、冷蔵庫から缶のハイボールを取り出して一口飲む。

チャレンジャーである若手芸人がステージに上がる。知らないピン芸人だった。スタート、ストップのコールをし、客席の5人がワイプで抜かれる。左右の端が"ヤツら"で、中の3人が人間だった。

一発ギャグ、モノボケ、ショートコント、モノマネと順調にチャレンジャーはクリアしていったが、人間3人が笑ったためで、"ヤツら"は一度も笑わなかった。というよりも、"ヤツら"には表情というか、顔がないので仕方がないことだった。捕食時のクリオネのような触手がターコイズブルーのコアから6、7本伸びてウネウネと運動を繰り返すばかりで、確かにモノマネの際、武田鉄矢の声でウッチャンのギャグ「いい加減に殺してくれ」をやった際は、若干触手の運動が激しくなったようには見えたが、それが笑っているという状況なのかはわからなかった。

ファイナルステージは5人笑わせなくてはいけない。チャレンジャーは最後に残されたサイレントを選んだ。

着ている服を一枚一枚、40秒もの時間を使って丁寧に脱ぎ、畳み脇に置く。白いブリーフ姿になったチャレンジャーは、唐突にダンスを始めた。両手を挙げ、腰を振り、陽気にダンスしていた。その動きは、ナンバラバンバンバンだった。会場は、よく言えばややウケ、悪いく言えば甘スベりをしている状態だった。しかし、ワイプに抜かれた"ヤツら"の姿に変化があった。ウネウネと動く触手が急に運動を停止し、その輪郭がぼんやりと紅色に色づき始めた。会場からは笑い声が消失していた。カメラがウッチャンを捉える。ウッチャンは笑いながら目頭を抑えている。客席全体がわかるショットにスイッチされる。会場中の"ヤツら"が紅色に発光している。残り10秒を切り、紅く染まった会場が黄色く点滅する。チャレンジャーはナンバラバンバンバンの舞を舞い続けている。結局人間からも"ヤツら"からも、誰からも笑いの判定がなされず、失格となった。

ベランダに出て煙草に火を点ける。「いやあれ絶対100万無理じゃん」と声に出して少し笑う。偲んでいたのだろうか。初代南原清隆を。或いは怒っていたのか、笑っていたのか、わからなかった。それでも、初めて見えた表情の変化のようなものに、いつものコンビニ店員を思った。紫煙が陽の光に照らされている。もうじき夜の9時になる。