同じ靴を履いてる

生活について

実家と賃貸と人生ゲーム

実家を出た。実家も東京にあるため特別出る必要もなかったのだが、もうここにいてはいけないという誰に責付かれているわけでもないのに定期的に襲われる焦燥に耐えられず、ままよ、という気持ちすらあったかなかったか、マジの思いつきだけで出て来てしまった。要するに、ぼんやりした不安で自殺することも馬鹿らしいので、代わりに家を出たということ、でもなくて、強いて言えば、友人に25歳だったか26歳だったか詳細は忘れたものの、とにかくそのくらいの年齢になって実家を出ていなかったら俺を殺してくれ、という宣誓を立てていたことが脳裏にあったのかもしれない。現状俺は殺されたくないし死にたくもない。

 

ほとんど何も持たずに賃貸に転がり込んでからこれまで、ずっとゼルダ感を感じ続けている。剣を授かり盾を得て、行動出来る範囲が広がり、パチンコを入手し爆弾を獲得することでまた行動出来る範囲が広がる。たかだか借家で俺の城を築こうなどと啖呵を切ることは出来ないし、切るつもりもないのだが、着実に生活がし易くなっていることによる快感は確かに在る。しかしこのゼルダ感のある日常の中で、一向に勇者たろうとしない俺の情けなさ。つか愚かしさ。ゼルダ姫がいないのがいけないのだろうか。俺は何の為に武器を得ているのか。斬らねばならぬものなどないというのに。先日包丁を得て、デレレレ〜♪な俺はほうれん草と玉葱を斬りテレレレレレレレン♪を響かせた。斬るべき魔物もおらず、守るべき姫も居ずに。

 

生活がある。洗濯をして、米を炊き、飯を食い、ゴミを出し、洗ったり、磨いたり、拭いてみたり、除けてみたり、置いてみたり、つまり仕事がある。定年のない仕事があり、それを繰り返し消化し続けることで、俺は人間していると感じる。文化。文明。現在進行形で人間。ヒューマニング。俺は日々、ヒューマニング。終日ヒューマニングしている俺は反対に、ピープリングしたくなさが極まって来ている。組織。団体。洒落臭えと唾することは容易いが、畢竟人間ってのは好むと好まざるとに拘らず、様々なところに所属しまくらないと生きて行かれないって言うじゃない。俺も所属しまくっている。しまくらせていただいている。おかげさまで。しかし俺にはまだ戸籍が無い。これはラッキーなことでしょうか。

 

静謐。特別寂しいわけではないが、先日Amazonで人生ゲームを買おうとしている自分を発見し、或は孤独を感じているのかもしれない。遊びに来て下さい。人生ゲームを買って待っています。