同じ靴を履いてる

生活について

シネマロサと若者と世界平和

街はバレンタインの方向に舵を切っている。一方で未だ正月気分を引きずったまま新春初売りセールなどと言いつつ店外にて声を張り客を喚ばう愚か者の使いが居る。正月とは一体なんだったのかのスレッドがもう3スレ目に突入しようというのに。

 

池袋に行った。と書いてみて、池袋に行ったとはどういうことだろうと感じてしまう。例えば地方に住んでいる人間が観光として確固たる目的を持ち池袋に行ったとあれば、それは納得がいくのだが、東京に住んでいる身としては生活圏内であるため、行った、という言葉がどうも大仰に感じてしまう。つか、行ったという報告をわざわざここに書くほどではないな、つー。

何しに行ったんだ。映画観に行ったんで。久々のシネマロサ、小学校の頃はよく家族で映画を観に行った。シネマロサ、変わらずにシネマロサで安心する。シネコンにあるこれぞ映画館という趣もあれば、小さい映画館にあるこれぞ映画館という趣もある。『ソーセージ・パーティ』という映画を観た。

 

帰りしな、西口駅前で、いかにもチェスターコートを着てスキニーパンツを穿いていそうな二十歳そこそこと見える若い男二人組が、やはりチェスターコートを着てスキニーパンツを穿いてギターを弾きながら世界平和について歌を歌い、奏でていた。世界中の人が手を取り合って、幸福について語り合えたらこれ幸福だよなあ、そう思わへん? と、そのようなことをビブラートを効かせ。嫌味でも何でもなく、なんでそんなデカイことを歌えるのか不思議だった。自分のことで手一杯な俺は。その自分のことが延いては世界に通じているという考えはわからなくもないが、二十歳そこそこの、つまり自分と大体同世代の若年者が世界平和について真面目に、高らかに、何らの羞恥も滑稽さも感じられない顔と雰囲気とテンションで歌っている、歌い上げてしまっている現場を目撃し、強い、と思った。つか、言った。独りごちた。そもそも路上にてギターをかき鳴らしつつ歌うという尋常ではない状況に酒の力も借りずに是の判子を捺印し、剰え笑顔、楽しんでしまっている風のその精神力の強靭さは何処から賜ったのか。強い。なんつー強さよ。平和になれよ世界、彼らのために。

 

2017年。未だ違和感がある。本日は水の美味さに驚愕するなどした。レペゼン20代、世界平和はここから生まれる。