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その辺の最果てで頑張れ

応援こそが 今日も今日とて

『この世界の片隅に』とソリティア

何度か『この世界の片隅に』の感想を書こうと文章を途中まで書いて止める、消去する、という作業を繰り返している。公開初日、テアトル新宿を出て陽光の眩さに戦きながら交差点の向こうのローソンに足を運び一万円をおろした。財布の中にほぼ一銭も入っておらず、パンフレットが買えなかったから。もう一度映画館に戻りパンフレットだけ購入し外に出る。それでも武者震いが続いていて、映画のワンシーンワンシーンがストロボのように頭を駆け巡り、閃き、誰でもいい、誰とも知らぬ誰でもいいからこの身に頭に収まり切らない持て余した閃光を衝撃を感動をただひたすら打つけてやりたいという感覚。或はその結果何らかの形でそれを共有したい、させて頂きたいという欲求もありながら。しかしそれを実に遂行してしまうと完全に気狂い扱いされてしまうので、人目をを憚りながら 近くのビルに入り、トイレの中で呻くようにして泣いた。

鑑賞前後で、自分の世界に対する視線が、そこに映る景色がまるで変わってしまうような映画が時々ある。『この世界の片隅に』はまさにそういった映画で、どうにかしてこの感動を伝えたい、観れる環境にあるなら這ってでも観に行ってもらいたい、という迷惑な老婆心を働かせている一方で誰にも知られたくないという感覚もある。あの映画、俺だから。俺であり、俺の映画だから。恋人が他の男と話しているだけで嫉妬してしまう自分が女々しくて女々しくてツラいよ〜なんつって俺、『この世界の片隅に』に対する独占欲がほとばしっていて、誰の感想も評論も読むことなくじっとしている傍ら映画は大ヒットを飛ばしている。みんなの映画なのだ。みんなが俺の映画だ私の映画だと言っていて欲しい。

とにかくこの十日間程『この世界の片隅に』のことしか考えられていない。原作漫画も買い、読んだ。紙の本で買おうかと思ったが、いい機会だと思いディスプレイが壊れたまま放置していたKindleを修理してそれで読もうと考え、サポートセンターに電話すると若い男の声、前置きの「えー」と「あー」が異様なほど長く、異様なほど長いなと考えていたために訊かれたメールアドレスを二回読み間違え、その分「えー」「あー」に余計に付き合うことになったが、無料で新しいKindleを送って頂くということになり、二日で届いた。Kindleがある生活が戻って来た。感謝。

 

十二月に入っている。いろいろ書きたいことがあったはずなんだが、忘れてしまった。最近ソリティアのアプリを落とした。ヤバい。十二月に入ってソリティアをやっているようでは本当にヤバい。しかし何故ソリティアをやることをヤバいと感じるのだろうか。何も考えず無心でソリティアを楽しむ精神力もなく、怠惰として札を捲り並べながら焦燥に侵食されてゆくソウルを浄化するような規律も持てず、そうじゃねえだろの掛け声がこだまする脳内がほら、この空を切る腕の運動が何を求めてのものなのかも解らぬままここ数年、数十年。火焙りだ。火焙りだよお前なんかは。しかし生活がある。それでも続く生活があるのでファイトなのだ。『この世界の片隅に』みんな観て下さい。