同じ靴を履いてる

生活について

ハチと金玉と逆転

悪夢、と言うほどのものでもないのだけど、夢の内容に叩き起こされるときは決まって、急になんの脈絡もなくハチが現れる。そうして絶叫し、手足をばたつかせながら目を覚ます。まだ動悸がおさまらない状態でカーテンを少し開けたら曇り空。7時くらいだろうかと思って時刻を確認したら4時半過ぎ。2度寝をしようか迷いながら携帯で漫画を読んだり、ニュースサイトをチェックしてみたり、ぐずぐずしているあの時間に名前をつけるならなに。5時、6時、7時。結局そう。仕方がないので起きる。そういう離床をあまりしたくはないのだけど。

金玉ってどう思います? いや、突然すみません。それで、金玉ってどう思います? もうそれなりの期間を生きて来ていて、金玉が2つあることが妙に可笑しく感じられる。これまでも、臓器が体外に露出しているというフォルムに哀愁を感じたことはあったし、そもそも玉袋ってなんだよ、縮んだり伸びたりして、と笑っちゃうことはあったのだけど、金玉が2つあるってなんなんだ。予備か? 種の保存のために生物が獲得した知恵が予備という結論なのだろうか。ここまで無防備に体外に露出させているというのに。あるいは右脳と左脳のようなソレで、生成される精子の質に差異があったりするのだろうか。右玉で生成された精子で受精した子供は芸術肌に育ちやすいとか。実存主義もクソもない。

そこで、右玉と左玉を入れ替えてみたらどうだろう。いや何がどうそこでなんだ。ところが実際にやってみるとこれがどうも、うまくいかない。というより、可能性を感じる動きはするのだけど、あと一歩が踏み出せないというか。おそらく何らかの管のようなもので繋がれている感じはするのだが、エイヤってあとひと押しすればひっくり返せるところまでは行く。ただそのひと押しをすることによって、人体的なリスクというよりも、世の理を犯してしまうような、そういう類の後ろめたさが邪魔をして思いとどまってしまう。文字通り、何かがひっくり返ってしまいそうな予感がある。人を殺してしまった人間が、人を殺す前の感覚には戻れないように、金玉逆転以前とは、世界の見え方が変わってしまうのではないか。逆転した金玉をぶら下げて街を歩いている。前方からメンインブラックでしか見られないような黒いスーツを身にまとった二人組が接近してくるのを見て悟る。案の定声をかけられ、身に覚えがありますねと問われて頷く。金玉警察の二人に連れられ、遠国の、どことも知らない独房で一生を終える。俺は、金玉を逆転してしまったのだから。逆転した金玉を正位置に戻してももう、あの時には戻れない。帰らざる日々。正位置の思い出。少年の夢。そう、なってしまうかもしれない。そうなりたくないので、あとひと押しのところで引き下がり、正位置に戻す。

土曜日。4時半起きの朝。下半身を露出させ金玉をいじり、金玉をいじった手で金玉の文章を書いている。明日は降るらしいので、洗濯をしようかと思う。