同じ靴を履いてる

生活について

上着とズーラシアと心のどれみちゃん

もうなんつうの、ハチャメチャに寒いじゃん。いつのまにどうしちゃったって言うの。それでもう冬服、ぜんぜん選択肢がないことにびっくり。ヒートテックにシャツ、セーター、軽めの上着を着て、それでも全然寒いじゃん。柔らかい毛の、暖かい上着が欲しいよな。しかし上着って高いんだよな。まったく不景気で冬のボーナスもどうなるかわからないし、じゃあもう死ぬか。そんなわけないよ。すべりこむように入る布団の暖かさがしみる。酒を飲んでいない夜は、布団の暖かさに気づく。全部、そういうことかもしれない。頭ラリらせて酒気混じりのため息をつきながら超える夜に、何の発見もありゃしないやね。時々でいい。時々ならいい。血の巡りのよくなったこめかみが刻む血液のビートを感じながら眠る、そういう夜は。

週末の天気予報は晴れになったり雨になったりしていて、朝起きたら今にも降り出しそうな曇り空だった。何とか保ってくれよの気持ちで週中に予約していたズーラシアへ向かう。電車とバスを乗り継いで小雨。意地で傘はささねえの気持ち。気持ちが届いたのか途中からは降っているのに気づかない程度の雨脚に。カップルと子連ればかり。一人の客はほぼ見当たらない。敷地が広く、歩いていて楽しい動物園だった。快晴ならば尚と思う一方、雨だからこそ来園客が少なく動物を見やすかったとも考えられるのでまあ良し。帰途、新宿のユニクロにてフリースの部屋着、無印良品にて安くなっていたズボンを購入。いずれも良い買い物だったが、冬の上着を買う必要がある。こういう感じの上着が欲しいというビジョンはあるが、その上着がどこで購入できるのかがわからない。

コンディションは良い。メシを作り、作ったメシを食う。服を洗い、洗った服を干す。ゴミを捨て、ゴミを出している。昨日は金曜日で、今日は土曜日で、明日は日曜日だ。イヤなことがあっても、イヤなことがあったと笑っていられている。イヤなことをされたとき、人にはしないようにしようと考えることができている。人に優しくしたいと心から念じている。しかしその優しさが空振りに終わっとき、平然と、泰然と、立っていられるだろうか。自分の考えとは逆で取られた時、相手の意見を尊重できるだろうか。無意味な優しさなど無いはずだが、少なくとも実際的では無い親切心が埃のように積もっている。それを人に押し付けようとはしていないか。それはお前、ただの埃だからな。ただの埃が人を救うことはあるけれども。

おジャ魔女どれみを見ている。無印、しゃーぷっ、も〜っとを見終えて、最後のシーズンのドッカ〜ンに突入している。いろんな子が出てくる。虚言癖のある子供、片親をコンプレックスにしている子供、発育がまわりより早いことを気にしている子供、悪気は無いのにうっかりレイシズムじみた発言をしてしまった子供、不登校で学校を見るだけで吐き気を催してしまう子供、簡単に解決することもあれば、なかなかそうはいかないこともある。そんな中、どれみがひたすらお節介焼きで、底抜けの優しさが溢れている。輝かしい。光り輝いている。

みんな違ってみんないい、これが前提の世界である必要がある。そう考えて人に接しているつもりでも、何となく日本人だから日本代表を応援することが前提であるような押し付けがましさを持って人に接していないか。大丈夫か俺の心のどれみちゃん。ピリカピリララポポリナペペルト、本当の優しさってなに。ピリカピリララポポリナペペルト、明日のチャンピオンズカップの着順を教えて。