同じ靴を履いてる

生活について

柘榴と皮膚と心

なんか首回りがすごいことになっている。1週間くらい前、首の右側のところに吹き出物らしきものができているのを発見したのが最初、こんなところに珍しいなとさして気にもかけず放っておいたのだが、治るどころか日に日に炎症の範囲が広がっていき、これはもう吹き出物というより蕁麻疹というか、柘榴のように細かく赤いぶつぶつが首回りいっぱいを覆っているという有様で、かなり無様な格好になっている。しかしながら痛みや痒みも一切なく、それがもう逆に心配で、さすがにこれはと皮膚科に向かったのが昨日金曜。こうまでひどい発疹を経験していなかったので、最近引っ越した家がいけないのかと疑う。あるいは引っ越しによるストレスか。それならばまだいいが、なんらかのアレルギー等であったならどうしようか。まだ引っ越して1ヶ月なのに。それともあれか、呪いか。特に家を借りる際、前の住居人に不幸があった旨の報告は受け取っていなかったので、あるとしたら前の前の住人がのっぴきならない理由によりこの部屋で首を吊って亡くなり、その残留思念のようなものが俺の波長と見事リンクし、このように首回りに赤い柘榴を実らせているのか。だとすると一刻を争う事態である。それにしても呪いというものは皮膚科医に解決ができるものなのか。霊媒師や祈祷師に相談するべきだったかしらんと近所の皮膚科に到着したものの、なんと秋休みにつき1週間休診する旨が記載されたプレートが入口のところにぶら下がっており、夏休みならいざ知らず秋休みとはホホこれ呑気やのうと踵を返し、仕方がないので雨が降ったり止んだりする中となり町の永福町まで歩みを進め、ようやく到着した皮膚科、どうやら予約制を導入しているらしく、そのようなシステムの恩恵に預かれない初診の俺は悠久のような2時間を待ち、先生に首を見せたところ、なるほどなるほどって保湿剤とステロイドを処方された。とりあえずなんでもない発疹らしい。いや太宰治の『皮膚と心』じゃないんだからなんつって、特に返す言葉もなく言われるがまま処方箋を受け取り、どこか釈然としないまま自宅に帰る。1週間くらい経っても症状がよくならない場合は改めて来院くださいとのこと。よくなってほしい。言われた通りに薬を塗布し眠る。

翌日になってもちっともよくならない。結果を求めるのが早すぎだろうか。しかし『皮膚と心』では診察後直ちに効果が顕れているじゃないの。全然効果ないんですけどと言いながら昨日の今日で病院行ったらウケるかな。ウケないか。こういう笑いはだいたい、ウケないんだよな。

首回りに柘榴を実らせながら買い物に出て、自分がこの首を見られるのが恥ずかしいと思っていることに気が付いた。そういうの、あるんだ。いやこれね、違うんすよ、いつもはこんなんじゃないんすけど、たまたまなんつーか、病気? そう病気的なやつで、べつに不潔にしているわけじゃないんすけど、なんか原因不明のね、原因不明の病気的なやつで、普段はそんな、ぜんぜんこんな感じじゃないんすけどもね、ね! などとすれ違う人々皆様に心で言い訳をしている。意外と気にするものなんだと自分でも驚いている。皮膚という公衆の面前にダイレクトに晒される部位において、普段と違うということが、どうも言い訳をしたくなるような恥ずかしさを生むらしい。これは俺だけではなく、男女、美醜を問わず、そうなのではないだろうか。

俺は親の遺伝か少年の頃から白髪が非常に多く、いまも実年齢からは考えられないくらい白髪の量が多いのだが、それを気にしたことも、恥ずかしいと感じたこともない。しかし、もともと白髪がなかった人間が、年齢とともに白髪が増えていくのは恥ずかしいというか、気に掛かる問題なのかもしれない。それではもともと皮膚病を患っている人間は? 慢性的にニキビ面の人間は?

『皮膚と心』は太宰の中でも5本の指に入るほど好きな作品で、再三読み返してきている小説だが、自分が皮膚病を患っている今、改めて読み直したく思う。しかし文庫を実家に置いてきてしまっている。そりゃなると思わないもの、皮膚病。

さてこのような柘榴首をして、グッドタイミングかバッドタイミングか、これから夜に吉祥寺に知人と飲みにいく約束がある。せっかくなら刮目してほしい。雨の吉祥寺に浮かび上がる素敵な柘榴を。