同じ靴を履いてる

生活について

映画『それでもボクはやってない』感想

その日、ブックオフで漫画を立ち読んでいた。高校一年の初夏、下校中に友人と三人で入店し、各々が各々の読みたい漫画を立ち読んでいる。GANTZを読んでいた。玄野計がチビ星人に追い込まれている頁を捲りながら、俺の肩を叩く手があった。振り返るとそこに警察がおり、わけがわからないままパトカーに乗せられた。怪訝そうな顔をして周囲が俺を見ていた。わけがわからないまま、俺は痴漢の嫌疑を掛けられていた。

周防監督による本映画が封切られたのは2007年のこと。相当に話題になっていたが、あまりにも切実なテーマであった為、却って鑑賞することが出来ないでいた。公開から12年を経て、Amazonprimeにて無料で鑑賞。一刻も早く観るべき映画であった筈が、時代を跨ぐことになってしまった。

クリーム色のニットキャップを被った20代後半くらいの女性が、眼に涙を浮かべながら俺を見ていた。一瞬だけ眼があった。その女性の脇に警官がついている。俺を指差している。眼の大きい女性だった。パトカーに乗せられた俺は、後部座席に着した。着させられた。両サイドを警官に挟まれる。程なくして車両は発せられた。警官は共に笑っていた。お前がやったんだろと言われる。なんで痴漢なんてしたんだと肘で小突かれる。鬼の首をとったように笑っている。助平な笑いであった。何のことかわからないし、俺はただ漫画を立ち読んでいただけである旨を伝える。やったならやったって言った方が楽だぞ、まあ詳しい話は署で聞くから。16時前後で、まだ日は高かった。運転手は何も言わず車を走らせている。警官同士が俺を挟んで何やら会話をしており、時々高笑いを上げている。俺はこれから行くことになるらしい署までの10分弱を、手をグーパーさせながら過ごしている。

物語は突然始まる。朝の通勤ラッシュ時、15歳の女子中学生のスカートを捲し上げ、その臀部を触った嫌疑を掛けられた加瀬亮は留置所に拘留され、取り調べを受けることとなる。当番弁護士には示談金を払えば公になることなく釈放される為、容疑を認め金を収めることを勧められるが、果たして身に覚えのない加瀬亮は、徹底して容疑を否認する態度を取る。外部からの助けもあり、冤罪と認めさせる為の法廷劇が始まる。映画内に於いては一貫して加瀬亮は冤罪であることが前提として話が進んでいくので、善悪がハッキリとしていて大変観易い映画となっている。冤罪であることが映画を観ている側としては自明である為、何とか有罪を獲得しようとする警察官、検事、裁判官が、わかりやすく悪として描かれている。但し、その悪の在り方についてのエクスキューズも設けられている。畢竟警察官にしろ、検事にしろ裁判官にしろ、各々の目指す着地点が明確であり、そこに着地することが最優先事項として在る為、本質的な善悪を問うこと以前に、いかに当人にとって有利な結末を迎えるかに従事している。良くも悪くもどこまでもサラリーマンであり、公務員なのである。そんな中で加瀬亮、ならびに彼の弁護人の主張が痛い。勝ち目が薄い、利になる可能性の乏しい裁判を挑み、しかし全うな正義を、本質的な善を掲げ、戦う様が延々と続く。

署に到着した俺は3階の個室に通され、着席を促される。ドアだけは開け放しになっている。後に知ったことであるが、隣の部屋に被害者の女性がいたらしく、鏡越しに俺の姿を確認していたらしい。本当にあの少年が犯人で在るのか、痴漢をされた状況等を警官に説明しながら、俺を、俺の人生を裁いていたのだった。俺はただじっとしていた。しばらくすると先ほどパトカーに押し込んだ警官とは別の2人が部屋に入ってきて、当時の状況を訊いてくる。当時の状況もクソもなかった。俺はただ漫画を立ち読んでいただけであり、それ以上のことは何も無いことを伝える。周囲の様子はどうだったか。何かが触れた感触はなかったか。一通りのことを訊かれた後、やったならやったと言った方が良いぞと笑いながら言う。笑いはもう一人の警官にも伝播し二人顔を見合わせて気色悪く微笑みあった後、俺の方を向き直り、しばらくここで待っているように伝える。

本作に於いて正義は終始被告人である加瀬亮の側にある。しかし被害者は確かに存在している。俺の一件についても、結局数時間拘留された後、被害者女性が俺を犯人では無いかもしれない旨を警官に伝えて頂いたらしく、俺は先程とはまた違う警官に部屋を出るよう促され、再度パトカーに乗せられた後、当該のブックオフまで送り届けられた。丁度警官が部屋に入ってきた時、あまりに退屈だったため欠伸をしていたら、眼に溜まった涙を見て、警官は何だ泣いてるのかと嬉しそうに問うた。こいつには恥という概念が無いのだ。車内、良かったなと警官に言われたが、俺はそれを無視した。その後、降車まで一切の会話はなかった。この数時間は何も無かったこととされ、しかし空は既に真っ暗であった。被害者は全く救われることがなく、ただ被害者の数が一人増えただけであった。

映画内でも俺が警官にそうされたように、お前が犯人に違いないという態度で取り調べを受けている。俺がそうされた以上の強い圧力で押し迫られている。映画を観ていて当時のことが思い出され義憤に近い感情が圧迫していた。それでも否認貫き続けるを加瀬亮に対し、警官が業を煮やす。相手をシロだと思ったら落ちないぞと一人の警官が言う。印象的な科白だった。逮捕された人間の容疑を固めることが彼等の仕事なのであり、それによって将来と給料が左右されることになる。俺も会社組織に属している人間として、彼等の事情も分かってやれないことは無いし、警察組織全体が腐っている訳では無いことは理解できる。それでも取り調べは終始杜撰であり、裁判は疑わしきは罰せよの姿勢で、本質的な罪を裁こうとはせず、ただただ眼前に広がるラッキーギルティをお役所的に裁こうとするのみである。この映画は要するに、加瀬亮が巻き込まれた痴漢冤罪の一件を通じて、司法機関のあり方と意義を問う話となっている。

俺は法は尊いものだと思っている。日本国民である以上、日本国の法は守らなければならないと思う。だからこそ、法の責任は重く、それを用いて人を裁く立場にあるものの責任も重くなくてはならない。良い奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでも無い世の中で、俺はしかし一時的にでも俺を犯人扱いして笑った警官を一秒も赦したことは無い。その責任は俺にあるが、そうさせた責任は奴らにあった。願わくば相応の覚悟を持って職務に臨んでほしい。但し、痴漢は犯罪である。ダメ、ゼッタイ。