同じ靴を履いてる

生活について

電車とアルコールとこれから

電車の中ですし詰めになっている。皆同じ顔をしているのに同じ人間は誰一人いない。くだらねえ奴らだと思う各々にも帰る家があり、人によってはそこで待っている人がいる。誰かにとっての特別な人が、しかし皆同じ顔をして息を殺している。俺も奴らの一部であるという自覚は無い。俺はお前らとは違うと思っている。皆思っている。我々はもともと特別なオンリーワンであり、しゃんと胸を張っている。バケツの中誇らしげに。誰も間違っていないし、誰も正解をしていない。空気の抜けるような音を立ててドアが開き、大勢が降りたのち、大勢が乗り込んでくる。大手町で降車する人、新宿で乗車する人、霞が関で降車する人、渋谷で乗車する人。皆同じだが、皆特別である。そういう気分になっている帰社時。ソウルが弱っているのだ。ハートが疲れているのだ。だから泣きたくなるような優しさが充溢している。だから締め付けられるような切なさが氾濫している。ずっとこのようなシーソーに乗っている。人を闇雲に憎んだり或いは人を祈ったりしている。その行き来に発生する摩擦の熱に希望を観測してみたりする。大丈夫だよと慰めてもらいたいし、大丈夫だぞと慰めてやりたい。マスクを被って棒立ちの俺は、本日を反芻することを忘れ続けている。毎日6時間程度の睡眠、週末には映画館で数本の映画を見て、各所を彷徨しカレーを食ったりラーメンを啜ったりしている。何もしていない時間が恐ろしく、それを誤魔化すために酒を飲むことを覚えた。酒を呷り馬鹿になることで、馬鹿である時間を煙に巻こうと試みる。思考の線が断続的になり、その線が決して紐を結ばないようにアルコールを摂取し続けている。何故ならば恐怖があるから。その恐怖に打ち勝つ装備を質に入れてしまったから。

我慢することと、まとめて吐き出すこと。それさえ出来ていればいい。それが恐怖に打ち勝つ装備であり、俺に出来る努力だ。長らくそれをしていなかった。この文章は、要するにリハビリである。ブログは施設だ。そして俺は患者だ。冷凍庫でキンキンに冷やしたジンを飲みながら。酒が悪いわけじゃ無い。努力を怠っていた俺が良くない。8億回目の今日から俺は。これまでの懺悔と、これからの生活に鉛玉を込めて。