同じ靴を履いてる

生活について

アイドルと文化祭と神輿

そして俺はキルフェボンにいる。約1ヶ月半分の花粉症の薬を処方してもらい、処方してもらったその脚で銀座に向かう。予定通り11時半にキルフェボンにてホールタルトを受領する。ペイドつまり料金支払い済みの。俺に与えられた任務。12時前にタルトを麹町のイベントスペースに運ぶ。但しその任務に見合った対価が与えられることは無い。任務というよりは強制に近いから。

俺はまだ若く、しかも会社に所属している為、所属している以上、上司がいる。あるアイドルグループが好きな上司にあるアイドルグループのライブに度々連れて行かれる。名を出せば誰もが知っているほどメジャーではないが、東京某区に専用の放送局を設けている事務所に所属しており、毎週何かしらのイベントやライブに出演し、歌ったり踊ったり喋ったりしている。地下アイドルというには浅い位置にいるが、まだ無名といっても差し支えないくらいのポジションである。そのアイドルグループ六人組のうちの一人、その一人の生誕祭なるイベントが本日、麹町のキッチン付きのレンタルスペースにて開催されるということで、ごく軽い感じで行きますと返答をしてしまったのであるが、しかし俺がキルフェボンにいるのは。バースデータルトを持って麹町へ移動しているのは。3,500円と引き換えに得たチケットをもって大して興味のないアイドルの生誕祭に参加しているのは。その意義とは。こんなことになるのなら断っていたのだが、こんなことになるのならを予想することは、人生において大体が困難である。日々、こんなことになるのならの声を聞く。内外から。とはいえ請けてしまったのだから、請け負ってしまったのだから俺は銀座一丁目駅から麹町駅まで有楽町線で移動し、駅徒歩数分にある雑居ビルの4階に上がり、すでに運営側として会場の飾り付けを行なっている上司にそれを渡す。20畳弱程度のLDKで5、6名の人間がLD部分の飾り付けに勤しんでいる。Kのエリアには当該の六人組が、来るべき本番に向けて段取りを整えている。

あ、いるんだ、と思った。こんなに自然にいるものなんだ、アイドル。そう思ったが、飾り付けをしている周囲の面々は誰も一人、いるんだの顔をしていなかったので、そこに彼女たちがいるのは当たり前のことなのだろう。人の家のようなLDKも相俟って、友人の誕生日パーティーを仲良し同士で作り上げてゆくような、文化祭の準備にも似た、来るべきキラキラに向けて皆で目的を一致させ完成に近づけていく高揚感が部屋に満ちていた。俺も何かしなくてはならないのだろうな、という見えない圧を感じるが、実際にそんな圧など存在しないことも一方では承知している。それ以上に、邪魔なのではないかの感を募らせている。キラキラに向けての熱量に乖離があることを認める。皆で目的を一致させ、完成に向けて取り組んで行くことに対して苦手意識がある。それはとても美しいことであるのは理解出来るのであるが、渦中に飛び込むことできない。記号化された文化祭の準備から生じる高揚感的なものに対して、善き哉、美しき哉、と首肯することは出来ても、現実俺の高校時代に存在していた文化祭の準備では、教室の隅で地べたに座ってヘラヘラしていた記憶ばかりである。そして今、似たような境遇を迎えている俺は、あの時分以上に批評的な態度をとっている。なるほど、これは文化祭の準備的で善き哉、美しき哉、と感を動しているばかりで、積極的に己の仕事を発見し、キラキラに向かって爆進しようという気概がない。そりゃ、あるわけがないのだ。人に連れられて無理矢理という気持ちである以上、ただ傍観者である他ない。それでも上司に対して何かできることはないかと確認はとっておく。あくまで前向きなんですよというエクスキューズとして。

だから、申し訳なさがある。ライブでは、六人組は本気で客を喜ばそう、感動させようという気持ちで歌い踊り 、キュートを大盤振る舞いしており、ファンはそれを本気で、マジで、余すところなく享受し、応援することで六人組を支えている。今回はそのファンと、六人組のうち五人が、本気で当該アイドルの生誕を祝い、喜んでもらおうという会なのだ。俺の本気で無さが申し訳ない気持ちになる。その申し訳なさは開場準備が完了し、本番が始まったのちもずっと俺を支配していた。本番では、メンバーによる料理対決等が行われ、30名ほど集まったファンはその模様をテーブルに盛られたオードブルをつつきながら見守る。最後にはファンからのメッセージカードアルバムや花束、例のタルトの贈呈があり、1時間半程度でイベントは終了した。そこまでメジャーで活躍していないアイドルグループとファンとの間での、美しい関係がそこにあった。俺はいつまでも場違いの感を拭えないまま、それを傍観していた。しかし運搬したタルトは確かにアイドルの手に渡ったのだ。報酬がある任務ではなかったが、それでも少しは報われた気になっている。俺も、生誕の祝いの一員として、神輿の側面に手を添える程度に役には立ったのではないか。いてもいなくても同じであるかもしれないが、それでも。

イベントは終了したが誰もなかなか帰ろうとしない。それぞれが本日のアイドルたちについて歓談している。当のアイドルたちはキッチンで片付けをしている。帰るタイミングを失った俺は椅子に座り、片付けをしているアイドルたちをぼんやり見ている。しばらくすると事務所のマネージャーから、それでは特典会始めますの号令がかかる。皆が一斉に前方のテーブルの前に列を作る。メンバー1人とチェキを取ることが出来る券、1,000円。メンバー全員とチェキを取ることが出来る券、3,000円。自前の携帯で10秒間動画を撮ることが出来る券、3,000円。アイドルグループとファンとの間での、美しい関係がそこにあった。お前も1枚くらい撮っていくだろと薪を焼べられるが、無い予定を召喚しいそいそと帰途につく。麹町から赤坂見附まで歩く中途「いや3,500円て!」と5回小さく叫ぶ。何も恐れることも、謝罪の念を抱くこともなかったのだ。3,500円を支払っている俺は畢竟どこまでも客であった。