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その辺の最果てで頑張れ

応援こそが 今日も今日とて

理解とスイミングスクールと逆涅槃

文章

学校で、習い事で、仕事先で「わかりました」と言う俺の顔面に真の「わかった」が発現していた試しがあっただろうか。少なくとも今日一日、わかったものも、ことも、何もなかった。それでも今日だけで何度も「わかりました」と言い、わかったような表情を浮かべ、わかったふりをしてやり過ごした。この何一つわからない世の中でせめて言われたことに対してわかったふりでもしていなければ人とまったくコミュニケーションが計れなくなってしまい孤立してしまう。円滑につつがなく日々をやり過ごすための術として、なにがしかの態度で理解を示さなければ気狂い扱いされてしまう危うい綱を渡る術として、納得の表情と言葉を駆使して誤摩化し続けて生活している。

自分の存在がわからなくなった。小学校中学年くらいのことだったと思う。スイミングスクールに通っていた。在りもしない才能が見えてしまったのかコーチに引き抜かれ競泳の育成コースにぶち込まれていた俺は、平日はほぼ毎日練習をしなければならぬ状況に置かれていて、水の中で汗をかくほど猛烈に泳げ泳げの命令を被り続けていた。死ぬ思いであった。実際に一緒に練習していた少年は、50mを息無しで泳ぎ給えという命令に従いその中途、気絶していた。プールサイドに引き上げられ頬を張られ意識が恢復した後、何故か悪いことでもしたかのように申し訳なさそうにその後の練習を見学していた彼を見て、気絶したくねえなと思った。頬を張られたくないから。頬を張られた上であんな惨めな顔を晒したくはないから。気絶しないように練習していた。泳ぎが上手くなりたいから、速く泳げるようになりたいから、そんな感情は一切無く、ただ与えられた命令を気絶しないようにこなすことに尽力した。なんでこんなことをしなくてはならないのだと思った。最新ヒット曲の有線が流すWhiteberryの『夏祭り』が水の中にいる俺の耳にうっすらと聞こえる。この仕打ちは一体なんなんだ。この状況一体なんなんだ。つか俺、こんなことをする為に生まれて来たのか。なんで練習せにゃ、なんで泳がにゃ、なんで息止めにゃ、と、今まで生活の一部として当たりまえであった諸々が、啖呵を切ったかのように理解の範疇を飛び越えて行き、そしてその理解不能の事柄をこなしている自分が、自分の存在が、理解出来なくなった。哲学した。記憶にある限りこのとき初めて俺は俺の存在について哲学した。

俺は何の用があって生きているのか興味を持つようになった。小学校の卒業文集にも、そのようなことを記してあった。少なくとも気絶しないよう泳ぐ以外に、何か世の中に用事があっていいはずだと思った。人並みに勉強したり、本読んだり、ギターを弾いたり、文章を書いたり、手淫をしたり、金を稼いだり、金を賭けたり、した。大学は哲学を専攻した。結局、何もわからなかった。俺は世の中に対して何の用事も見つけられなかった。ただ死ぬのは嫌だ。怖すぎるから。死は怖い。死そのものが怖いというより、生きている人間が生きていない状態に移行することが怖い。だから俺はこのように生きている。何の用事もなく。あまりにも用事がなさ過ぎるのである段階から、向こうサイドが俺に用事があるんじゃないかと考えるようになった。二十歳を過ぎてしばらくしてからのことだと思う。俺は特別信仰している宗教はないが、神様は信じている。厳密に言えば、神様のような何か大きな力を信じている。ときどきそれに祈ったり請うたり怒ったりする。その得体の知れない大きな力、向こうサイドの方が何か用事があって俺を召還したのではないか。この死なない限り漫然と続く、続いてしまう生の説明を自分の人生のこれまでとこれからに見出すこと能わず、しかし確かに存在する俺は何か用事があって存在しているのではなく、向こうが俺に用事があるからここに、こうして。そのように考えると、奇妙な納得感があった。これまで何もわからず、わかろうと努力し苦悶していた人生の用事も、存在の理由も、人間も、地も空も、金も女も、あらゆるわからないものが、わからないものとして腑に落ちた。世の理を覚ることを涅槃と呼ぶのなら、俺は逆涅槃の境地にあった。

帰り道。最寄りの駅から家まで自転車を走らせている間。空、夜、アスファルト、ガードレール、信号、トラック、人間、看板、街灯、木、缶、風、手袋、コンビニ、ひとつもわかるものがない、何もわからない。しかし歩み寄ることは出来る。何一つわからなくても、理解出来ずとも、それに歩み寄るという態度は忘れずにありたい。わからないものはわからないものとして受け止めながら。

大体の人間が他を理解しようとし、理解してもらおうとしているらしい。殊更にインターネット上、ストームのように渦巻く「わかるよ」と「わかって」のグルグルに巻き込まれて、マジで嘔吐く。マジエズ。マジエズがある。歩み寄ろう。何も理解出来ないし、理解出来るわけがない。ただ歩み寄ることを。因に私の口癖は「わかる」です。ありがとうございます。何もわからねえ。

 

土曜、東京ディズニーシーに初めて行く。何もわからない俺が。大いにはしゃぐ様を晒す。無益な買い物をする。後に書きます。書く予定であります。