同じ靴を履いてる

生活について

マカロンと鈴木雅之とリルラリルハ

生まれてから四半世紀経つ。年齢に対しての焦燥はそこまででもなく、ただひたすら寒い。もう冬なのではないかと思う。これが秋。もう冬なのではないかという感覚が秋。

この年齢になって初めてマカロンを食した。今までマカロンの存在を認めつつもそれから逃げて来た男が、先日『脳漿炸裂ガール』というボカロ曲原作の映画を観てからというもの日に日に募るマカロンに対する潜在的欲求を押さえきれず、ついに自分はマカロンを食すために生まれて来たのではないかという地点までいったところで、居ても立ってもいられなくなり深夜二時にファミリーマートに向かいそれを購入し胃に収め、そして僕の胃には今マカロンが在る。味がした。ひたすら甘かった。

四半世紀、という言葉を初めて耳にしたのは中学三年の時だった。四半世紀という字面はそれ以前にも見たことがあった筈だが、人の口から発せられるその言葉の発音を聞き取ったのが。鈴木雅之がテレビでシハンセイキと発音していた。鈴木雅之鈴木雅之の声で。

当時「sakusaku」という番組がテレビ神奈川でやっていて、東京を住処にしていた僕の家庭にもテレビ神奈川の電波が浸食していたのでそれ見ていた。ありがてえ。「sakusaku」には木村カエラが出演していたから。その頃の僕は木村カエラが好きだった。マジか。木村カエラが好きだったのだ。今でこそ電波にて木村カエラを確認しても「これは木村カエラである」以上の感想は出てこないが、中学三年の僕はリルラリルハであった。リルラリルハのPVが流れている間に二回抜いたことがある。会社の有線は2000年代以降のジャパニーズポップをひたすら奏でていて時々リルラリルハが流れると中学の時の木村カエラに愛撫されている感覚に襲われる。グリーンバックで首を振り髪を掻き乱す仕草に。

sakusaku」にゲストとして鈴木雅之が出演していた。木村カエラの隣にゴツいサングラスを掛けた色黒が座っていて、音楽に全く疎かった僕はただウケた。彼はラブソングを歌い続けて四半世紀と言った。そこにはリルラリルハが在った。そういう気概が欲しい。胃に収まっているマカロン。存在がマカロンに負けている。こんなリルラリルハが?