同じ靴を履いてる

生活について

ビールと宇宙人と風呂

ああビールだ。美味い。ありがたい。まだ暖かい焼き鳥の盛り合わせと明太子入りのポテトサラダ、突き出しの大根おろしをつつきながら荻窪。俺は痛風なのだ。そのように医者に宣告されてから一向に症状が出ないので最近はすっかり気を許してビール、海老、蟹、どんと来いの構えでプリン体を摂取し続けている。酔っぱらう。酒に弱い。饒舌であることを潔しとする。心地がいい。心地がいいまま終電がなくなり、それじゃあ朝まで、なんつってガールズバー。選択肢が死んでいるなあ。金を払って女の子とヘラヘラする。照れ隠しでカラオケを入れたりする愚行。どうも酔っぱらっていると甘え上戸になっていけない。ビールでは記憶を飛ばせないので、気色の悪い己が後々ハッキリと思い出されてやりきれない。キショい。うわキッショ!と翌日突然叫んだりする。しかし飲んでいるときにはお構い無しで、指で宇宙人の顔を作るなどして楽しませているつもりになっており、ああなんか歌って頂戴かわいいやつ、ああ良い、良いなあ、可愛いなあ、ところでこの宇宙人どう思う、えっえっえっ、はいはい、僕はデイドリームビリーバーそんで彼女はクイーン、ハートのクイーン、キング、エース、ロイヤルストレートフラッシュ、君はハートのロイヤルストレートフラッシュ、眩しくてチャウ・シンチーハットしてキャット、可愛いねえ21歳、岡山出身、日本で一番晴れが多い県だ、うわー良いなあ、良さが出ているなあ、ところでこの宇宙人を見て。そのようなありようがそのようなのだ。アルコール。1時間経ちしっかり延長を撥ね除ける英断を下す頭をぶら下げているのがまた辛く、まだ始発まで1時間少々あるのでカプセルホテルに向かい、連れと共にどうしますか、風呂オンリーでいいですかの相談をしつつ受付の対応の素晴らしさに感心している。誠実。酔っぱらいに対しても誠実にご案内を受けさせて頂き、接客よなあと思う。入浴。普段湯を張らない生活をしているため、時々銭湯等に行くとここぞとばかりに長風呂してしまう。寝溜めをする奴は馬鹿だと思っていたが、風呂溜めする俺も大差ない。当然のこと湯中りし、もうこの世の終わりということで宿泊を決意。替えの下着や靴下が陳列されているガラスケースの中、木製のトカゲの置物が埃を被っており、売り物なのかと訊くと売り物だと申すのでこれを購入。商品裏のシールをみると500円の記載があったが、なぜか300円で譲ってもらう。ありがたい。接客よなあ。時間を奪われたカプセル内で夜を明かし、二度寝を数回繰り返した後、11時前頃に完全に目を覚ます。さてこの話、何が面白いのでしょうか?

2017年1月映画館で観た新作映画

1月映画館で観た新作映画

 

1日『ドント・ブリーズ

1日『ぼくは明日、昨日のきみとデートする

2日『アズミ・ハルコは行方不明

4日『この世界の片隅に』(4回目)

7日『この世界の片隅に』(5回目)

8日『人魚姫

8日『この世界の片隅に』(6回目)

9日『ソーセージ・パーティー

21日『太陽の下で

21日『沈黙 サイレンス

22日『ザ・コンサルタント

27日『ドクター・ストレンジ IMAX3D

27日『スノーデン

28日『マグニフィセント・セブン

28日『ドラゴン×マッハ

 

1月はもの凄いラインナップで、年間ベスト級の作品ばかり。

中で特に印象に残った作品をキリよく三本。鑑賞順に。

 

・ドント・ブリーズ


映画 『ドント・ブリーズ』 予告

 

公開自体は2016年12月ですが未見だったので。

面白すぎてどうにかなりそうだった。僕が映画に求めている要素をぎゅうぎゅうに詰め込んでてくれている。感謝。

沈黙がとても効果的に使われる作品だったので、映画館で観ておいて本当によかった。

 

・人魚姫


鬼才・チャウ・シンチーが放つメガヒットファンタジー『人魚姫』予告編

 

今年はチャウ・シンチーに年賀状を出さなければならないレベルの大傑作。

ベタにベタを重ねるような展開で、それでも大爆笑させられてしまうテンポの良さと映像の力。改めてチャウ・シンチーは抜群に映画撮るの上手いと思った一作。相変わらずバイオレンス描写も恐ろしくしっかり作り上げて来ている。

あまり公開規模云々に関して意見を持つことはないのだが、さすがにチャウ・シンチーの新作、しかもアジア歴代一位の興行収入の記録を作った今作が、当初都内で一館のみの上映と言うのはビビった。つか呆れた。

 

・ドクター・ストレンジ


カンバーバッチ主演マーベル映画『ドクター・ストレンジ』特報

 

丁度半年くらい前、予告編を観てその映像にビックリさせられて、かなり期待をかけていたのだけど、期待以上の出来だった。

映像、ここまで来てんのか。そしてここまで観させてくれんのか。という驚きがしっかり2時間持続する。すげえ。目の前で展開される映像の凄まじさだけで泣いてしまった。涙以外の汁も出ていた気がする。身体中から。

 

 

その他、北朝鮮を題材にしたドキュメンタリー『太陽の下で』もアイドル映画的側面があって素晴らしかったし、スコセッシの新作『沈黙 サイレンス』も文句なく面白い。己の無知を否応なく自覚させられ、ジョセフ・ゴードン=レヴィットはやっぱりとんでもない役者だったということを改めて感じさせられた『スノーデン』もよく出来ていて、大好きなアクション映画『SPL 狼よ静かに死ね』の一応の続編、『ドラゴン×マッハ』なんかも最高だった。

いやもう、ほとんど最高すぎて3本選ぶのも大変な程。反対に『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は良い珍作。ポジティブなワースト映画。

観た映画が面白い作品ばかりだった為、あまり食べ残した印象こそない月だったけれど、まだ観れていないところで『牝猫たち』『疾風スプリンター』『キセキ ーあの日のソビトー』あたりは早いところ観に行きたい。年明けて間もないと言うのに、早くも追っ付かない状況になってきている。困った。

 

 

2月はいよいよ待ちに待った『ラ・ラ・ランド』が公開される他、久しぶりにヴァンダムがスクリーンで拝める『キックボクサー・リジェネレーション』をはじめ、名物企画「未体験ゾーンの映画たち」からも面白そうな映画がちらほら。いい感じに香ばしい匂いがしている実写版『咲 Saki』も楽しみで仕方ない。

スマホから雑文

◼︎初めてスマホから更新する。

それにしても以前からスマホという略称に違和感がある。スマートフォンの略ならスマフォと呼ぶに然るべきであろうと思うのだが、語呂の問題だろうか。或いは日本人が「f」の発音に慣れていない所為か。
 
◼︎秋刀魚とビールが年々美味くなっている。
ビールに関してはこちらの味覚の変化に依るところが大きいように思うが、秋刀魚は如何に。
本来種の繁栄の為であれば、天敵である人間が食べられないほど不味くなるか、毒を持ったりすればいいものを、着々と人間サイドに迎合してきている。その進化は間違っているぞ秋刀魚。ありがたい。
 
◼︎久々に競馬場に行く。
先日、友人に誘われて久々に競馬、朝から全レース参加する。景気付けにと到着後最初のレースで適当な馬の単勝を1万円買い、やや引かれる。その感覚が正しい。その感覚で接してくれてありがたい。当然勝てるわけもなく、数分で1万円失うが、その後悔い改めビールを啜りながらちまちまと賭ける。最終的に5万プラスで終える。負けを取り戻そうという思考にならなかったのが良かったのかもしれない。無欲。何事も。
 
◼︎1月公開映画の層が厚くて嬉しい。
 
◼︎飯屋の引き出しが少なすぎる。
今年は飯を知ろう。知らせてくれ。
 
◼︎「ヘロインやめろ」という遠縁な言葉を独りごちることが多い。
自分でも意味がわからない。意味がわからない独り言、何故?
 
◼︎面白いことを想像することが他人任せになりすぎている。馬鹿でいる時間が長い。馬鹿にはなりたくない。
 
◼︎2007年が10周年を迎える。2007年に感謝。
 
◼︎そういうわけで『電脳コイル』を再見したり。後に感想でも書ければ。
 
◼︎可愛い女が可愛すぎる。
 
◼︎頑張りが足りない。故に頑張れが出ない。
頑張れという言葉。頑張れを発するタイミング。正しい頑張れとは。最高の頑張れとは。いずれ書ければ。
 
◼︎いずれとは。

シネマロサと若者と世界平和

街はバレンタインの方向に舵を切っている。一方で未だ正月気分を引きずったまま新春初売りセールなどと言いつつ店外にて声を張り客を喚ばう愚か者の使いが居る。正月とは一体なんだったのかのスレッドがもう3スレ目に突入しようというのに。

 

池袋に行った。と書いてみて、池袋に行ったとはどういうことだろうと感じてしまう。例えば地方に住んでいる人間が観光として確固たる目的を持ち池袋に行ったとあれば、それは納得がいくのだが、東京に住んでいる身としては生活圏内であるため、行った、という言葉がどうも大仰に感じてしまう。つか、行ったという報告をわざわざここに書くほどではないな、つー。

何しに行ったんだ。映画観に行ったんで。久々のシネマロサ、小学校の頃はよく家族で映画を観に行った。シネマロサ、変わらずにシネマロサで安心する。シネコンにあるこれぞ映画館という趣もあれば、小さい映画館にあるこれぞ映画館という趣もある。『ソーセージ・パーティ』という映画を観た。

 

帰りしな、西口駅前で、いかにもチェスターコートを着てスキニーパンツを穿いていそうな二十歳そこそこと見える若い男二人組が、やはりチェスターコートを着てスキニーパンツを穿いてギターを弾きながら世界平和について歌を歌い、奏でていた。世界中の人が手を取り合って、幸福について語り合えたらこれ幸福だよなあ、そう思わへん? と、そのようなことをビブラートを効かせ。嫌味でも何でもなく、なんでそんなデカイことを歌えるのか不思議だった。自分のことで手一杯な俺は。その自分のことが延いては世界に通じているという考えはわからなくもないが、二十歳そこそこの、つまり自分と大体同世代の若年者が世界平和について真面目に、高らかに、何らの羞恥も滑稽さも感じられない顔と雰囲気とテンションで歌っている、歌い上げてしまっている現場を目撃し、強い、と思った。つか、言った。独りごちた。そもそも路上にてギターをかき鳴らしつつ歌うという尋常ではない状況に酒の力も借りずに是の判子を捺印し、剰え笑顔、楽しんでしまっている風のその精神力の強靭さは何処から賜ったのか。強い。なんつー強さよ。平和になれよ世界、彼らのために。

 

2017年。未だ違和感がある。本日は水の美味さに驚愕するなどした。レペゼン20代、世界平和はここから生まれる。

挨拶と恥と挨拶

直に三が日が終わる。少年期より正月のどこか浮ついた感じが苦手だった。そもそも明けましておめでとうという挨拶がしっくりこない。平素は気さくな間柄であるにも拘らず、妙にかしこまってするあの挨拶がどうにも気恥ずかしい。皆「あけましておめでとう」に気恥ずかしさを感じているのだろうか。あらゆることに於いて渦中に在る人間は、己から、或は己等から発せられる恥に気付きにくい。あけましておめでとうの渦はあまりに巨大すぎる。皆、晴れやかな顔をして当たりまえのように例の挨拶を実行している。その晴れやかな顔は、当たりまえのように発せられる言葉は、本心からなのか。渦に入れなかった俺はせめてもの抵抗として、年が明けた瞬間家を飛び出して道路の中心で立ちションをするという愚行を高校の時分繰り返していた。あけましておめでとうに恥を感じてしまう以上、それに勝る恥であけおめ恥(あけおめち)を克服しようという、メインレースで摩った金を最終レースで取り返そうともがく競馬場で新聞を穴が空くほど凝視している親父とも似た巫山戯た精神構造のもとで行われた立ちションだったが、まったく何の救いにもならないことに気付き止した。もしも何かの拍子でこの記事を読んでいる中高生が在れば、こんな人間にならない為にも、あけましておめでとうの渦中に飛び込むべきであるとアドバイスしたい。なるはやで。あとクスリとかやったら駄目。

大晦日。侘びも寂びも存在しない部屋で十数年ぶりに手塚治虫の『火の鳥』を読みながら、ふと時計に目をやると零時を回っていた。どうやら2017年になったらしいという手応えのない事実。このような正月の迎え方があってもいい。明日は早起きしようと早めに床に就く。その夜、腰を痛めている祖母があまりにも辛そうにキャバクラで働いているのを客として目撃し、こんなところは辞めろと説得するも「お金がないのよおおお」と号泣し崩れ落ちる彼女をこちらも号泣しながら抱きとめるという地獄のような夢を見て、久しぶりに起床後に泣く。日付変わって元日に見た夢は初夢とは呼ばないという説が有力らしいので、この夢はノーカンにする。しかし気分が良いものではない。今年の祖母の容態が心配である。現状、腰を痛めたという報告はない。

 

年末は一泊で伊勢神宮まで簡素な旅行に行ったりもしたが、年が明けてからはひたすらだらだらしている。先日、はじめてラインのスタンプをいくつか買ってみて、中で「しりあがり寿のオメデタすぎるスタンプ」という正月ピンポイントで使えるスタンプを購入していたので、スパムのように知人に送るなどした、と言えばどれくらいだらけ切った正月を送っているか想像出来るだろうか。朝、映画を観に新宿へ向かい、少しぶらついた後帰宅し、だらだらと過ごし、だらだらに飽きたところで何か為さねばという衝動に突き動かされるように、近くの映画館のレイトショーに向かうという日が続いている。最近、衝動の矛先が映画館にしか向いておらず、端的にヤバい。

 

とにかく。年が明け2017年になったという事実は確かな情報らしい。生き抜く。願わくば充実させる。

 

末筆ながら、皆さんあけましておめでとうございます。共に生き抜きましょう。