同じ靴を履いてる

生活について

はじめてのディズニーシー

12月10日。気温が完全に死んでしまっていて、宿酔の頭が重かった。友人と、友人と、友人の彼女と、俺と、友人の運転でディズニーシーに行った。わかりにくい。全員で俺含め四人。男の友人二名は中学・高校が一緒だった。友人の彼女は中学のみ一緒だった。狭い世界。狭い世界が狭い車中を圧迫している。友人の彼女は俺が中学卒業のタイミングで告白かまして振られている女性で、ああ狭い狭いな、なんか良い曲かけてくれと言う俺のプリーズにSOUL'd OUTの『ウェカピポ』をチョイスする友人、100点。中二の時は好きだったと言われ振られた。じゃあなんで今は駄目なんだ、と問い質す気にもならなかった。ただ、女ワケわかんねえなと思った。諸行無常。完璧に友人として後部座席隣同士座る俺らの間にウェカピポが流れる。これが諸行無常の響きなのか。このビートが。ライムが。食べる? と言って家から持って来たらしい大袋のハイチュウをくれた。食いながら、くっちゃらはぴはぴハイチュウってあれ、あゆだっけ、あややだっけ、などと考えていた。ああ、あややパピコだから、ハイチュウはあゆだ。あややパピコ、ハイチュウはあゆ、俺は友人、車中にはウェカピポ、諸行無常の響き、舞浜に着いた。

 

ディズニーシーは初めてだった。ランドの方にはそれなりの数、子どもの頃家族と行った。一度、父方の祖母と我々家族とで行ったことがあった。小学校の高学年、冬だった。エレクトリカルパレードを観るため屋外に待機していたとき、その日はとても寒かったため、俺のマウンテンパーカーのフードを祖母は文字通りの老婆心からか頭に被せて来た。当時俺は、フードを被ることがダサいと思っていて、被せられたフードを剥ぐ、被せられる、剥ぐ、という不毛を数回に亘り繰り返した。それから数年後、祖母は癌になり亡くなった。人がなくなると、ああしておけば良かったという後悔ばかりが募るものだなと当時思った。あのときそこまで意地にならずに、あの老婆心を純粋な優しさとして受け止める選択もあったなと。俺は今でもフードを被ることはダサいと思っている。

 

チケットを購入し、ゲートを通過する。通過させて頂いている、といった方が近い。これから何時間もの間、すべての愚行・徒事が「夢の国だから」というやんわりとした制止によって解決されてしまう空間にトリップさせられる。ここは夢の国だから。仰る通りで。パーク内のあらゆる箇所に偏在する夢、夢感、夢パワー、云々に押され気味になっている俺にとりあえず写真を撮ろうの号令。運命の綾で俺の女になっていない彼女を連れた友人が徐に自撮り棒を取り出す。見渡すと他にも多くの組(くみ)が棒を使用している。皆当たりまえのように自撮り棒にて写真を撮っており、誰一人として自撮り棒にて写真を撮っています、の顔をしている人間はいないように思えた。いや、いないのだ。ここは夢の国だから。それにしてもこの空間にその棒、相性悪くないですか。なんか黒いし、長いし、文明感? 果たして。そのようなことを考えている間にシャッターが切られ、自撮り棒にて写真を撮られています、の顔になってしまった。減点。「いやあお前、棒を使いこなすんだねえ」とコメント。嫌みっぽく響いていなければ良いが。後に送って頂いた写真、俺の顔だけ白飛びしていた。

 

酒を飲もう、飯を食おう、という提案。さしたる頻度ではないもののある程度の場数を踏んでいる友人たちが揃えて今日の混み方は尋常では無いと口を揃える盛況の中で、飯にありつくのにも相当な時間がかかるのであるが、さすがに考え抜かれているというか、ただ漫然と歩いている俺の目に飛び込んでくるすべてが俺を楽しませようというディテールの強かさ、抜かりない。そこにキリン生の相性たるや抜群で、成る程酒が飲めるというのはこの夢の国に於いて明らかにプラスであった。

 

その後、アトラクションを楽しむ。何れも順番待ちの長い列が出来上がっていたが、順番待ちこそ楽しめるような仕掛けが仕掛けられており、俺はパークにいる間一切のユーモアを捨てていた。一切人を笑わせようという発言はせず、ひたすら目に入ったものを、それに対しての極簡単な感想を、リアクションを、声としてだだ漏らしているだけの機械と化していた。ともすれば白痴。頭を悪くするテーマパークだなと思う。しかしそれがたまらなく心地好いんだから仕方がない。特に『海底二万マイル』というアトラクションが素敵だった。ネモ船長の指示を仰ぎつつ深海に行く全然使い物にならない俺。

 

帰り際。猛烈な疲労感とともに必ずやって来るあの哀愁はなんなのか。恥ずかしい。今なら俺は完璧な顔で写れるから自撮り棒を出せの提案。後に送られて来た写真は完全な逆光でまったく表情がわからなかった。帰途、不注意による信号無視で友人が警官に止められているのを後部座席でヘラヘラしながら見守る俺と、心配そうな顔をして見守る友人の彼女。現実が時間軸をも飛び越え交差して、思わず「映画みたいだね」と呟く。友人は警官から渡された用紙にペンを走らせていた。現実の音がそこにあった。

理解とスイミングスクールと逆涅槃

学校で、習い事で、仕事先で「わかりました」と言う俺の顔面に真の「わかった」が発現していた試しがあっただろうか。少なくとも今日一日、わかったものも、ことも、何もなかった。それでも今日だけで何度も「わかりました」と言い、わかったような表情を浮かべ、わかったふりをしてやり過ごした。この何一つわからない世の中でせめて言われたことに対してわかったふりでもしていなければ人とまったくコミュニケーションが計れなくなってしまい孤立してしまう。円滑につつがなく日々をやり過ごすための術として、なにがしかの態度で理解を示さなければ気狂い扱いされてしまう危うい綱を渡る術として、納得の表情と言葉を駆使して誤摩化し続けて生活している。

自分の存在がわからなくなった。小学校中学年くらいのことだったと思う。スイミングスクールに通っていた。在りもしない才能が見えてしまったのかコーチに引き抜かれ競泳の育成コースにぶち込まれていた俺は、平日はほぼ毎日練習をしなければならぬ状況に置かれていて、水の中で汗をかくほど猛烈に泳げ泳げの命令を被り続けていた。死ぬ思いであった。実際に一緒に練習していた少年は、50mを息無しで泳ぎ給えという命令に従いその中途、気絶していた。プールサイドに引き上げられ頬を張られ意識が恢復した後、何故か悪いことでもしたかのように申し訳なさそうにその後の練習を見学していた彼を見て、気絶したくねえなと思った。頬を張られたくないから。頬を張られた上であんな惨めな顔を晒したくはないから。気絶しないように練習していた。泳ぎが上手くなりたいから、速く泳げるようになりたいから、そんな感情は一切無く、ただ与えられた命令を気絶しないようにこなすことに尽力した。なんでこんなことをしなくてはならないのだと思った。最新ヒット曲の有線が流すWhiteberryの『夏祭り』が水の中にいる俺の耳にうっすらと聞こえる。この仕打ちは一体なんなんだ。この状況一体なんなんだ。つか俺、こんなことをする為に生まれて来たのか。なんで練習せにゃ、なんで泳がにゃ、なんで息止めにゃ、と、今まで生活の一部として当たりまえであった諸々が、啖呵を切ったかのように理解の範疇を飛び越えて行き、そしてその理解不能の事柄をこなしている自分が、自分の存在が、理解出来なくなった。哲学した。記憶にある限りこのとき初めて俺は俺の存在について哲学した。

俺は何の用があって生きているのか興味を持つようになった。小学校の卒業文集にも、そのようなことを記してあった。少なくとも気絶しないよう泳ぐ以外に、何か世の中に用事があっていいはずだと思った。人並みに勉強したり、本読んだり、ギターを弾いたり、文章を書いたり、手淫をしたり、金を稼いだり、金を賭けたり、した。大学は哲学を専攻した。結局、何もわからなかった。俺は世の中に対して何の用事も見つけられなかった。ただ死ぬのは嫌だ。怖すぎるから。死は怖い。死そのものが怖いというより、生きている人間が生きていない状態に移行することが怖い。だから俺はこのように生きている。何の用事もなく。あまりにも用事がなさ過ぎるのである段階から、向こうサイドが俺に用事があるんじゃないかと考えるようになった。二十歳を過ぎてしばらくしてからのことだと思う。俺は特別信仰している宗教はないが、神様は信じている。厳密に言えば、神様のような何か大きな力を信じている。ときどきそれに祈ったり請うたり怒ったりする。その得体の知れない大きな力、向こうサイドの方が何か用事があって俺を召還したのではないか。この死なない限り漫然と続く、続いてしまう生の説明を自分の人生のこれまでとこれからに見出すこと能わず、しかし確かに存在する俺は何か用事があって存在しているのではなく、向こうが俺に用事があるからここに、こうして。そのように考えると、奇妙な納得感があった。これまで何もわからず、わかろうと努力し苦悶していた人生の用事も、存在の理由も、人間も、地も空も、金も女も、あらゆるわからないものが、わからないものとして腑に落ちた。世の理を覚ることを涅槃と呼ぶのなら、俺は逆涅槃の境地にあった。

帰り道。最寄りの駅から家まで自転車を走らせている間。空、夜、アスファルト、ガードレール、信号、トラック、人間、看板、街灯、木、缶、風、手袋、コンビニ、ひとつもわかるものがない、何もわからない。しかし歩み寄ることは出来る。何一つわからなくても、理解出来ずとも、それに歩み寄るという態度は忘れずにありたい。わからないものはわからないものとして受け止めながら。

大体の人間が他を理解しようとし、理解してもらおうとしているらしい。殊更にインターネット上、ストームのように渦巻く「わかるよ」と「わかって」のグルグルに巻き込まれて、マジで嘔吐く。マジエズ。マジエズがある。歩み寄ろう。何も理解出来ないし、理解出来るわけがない。ただ歩み寄ることを。因に私の口癖は「わかる」です。ありがとうございます。何もわからねえ。

 

土曜、東京ディズニーシーに初めて行く。何もわからない俺が。大いにはしゃぐ様を晒す。無益な買い物をする。後に書きます。書く予定であります。

『この世界の片隅に』とソリティア

何度か『この世界の片隅に』の感想を書こうと文章を途中まで書いて止める、消去する、という作業を繰り返している。公開初日、テアトル新宿を出て陽光の眩さに戦きながら交差点の向こうのローソンに足を運び一万円をおろした。財布の中にほぼ一銭も入っておらず、パンフレットが買えなかったから。もう一度映画館に戻りパンフレットだけ購入し外に出る。それでも武者震いが続いていて、映画のワンシーンワンシーンがストロボのように頭を駆け巡り、閃き、誰でもいい、誰とも知らぬ誰でもいいからこの身に頭に収まり切らない持て余した閃光を衝撃を感動をただひたすら打つけてやりたいという感覚。或はその結果何らかの形でそれを共有したい、させて頂きたいという欲求もありながら。しかしそれを実に遂行してしまうと完全に気狂い扱いされてしまうので、人目をを憚りながら 近くのビルに入り、トイレの中で呻くようにして泣いた。

鑑賞前後で、自分の世界に対する視線が、そこに映る景色がまるで変わってしまうような映画が時々ある。『この世界の片隅に』はまさにそういった映画で、どうにかしてこの感動を伝えたい、観れる環境にあるなら這ってでも観に行ってもらいたい、という迷惑な老婆心を働かせている一方で誰にも知られたくないという感覚もある。あの映画、俺だから。俺であり、俺の映画だから。恋人が他の男と話しているだけで嫉妬してしまう自分が女々しくて女々しくてツラいよ〜なんつって俺、『この世界の片隅に』に対する独占欲がほとばしっていて、誰の感想も評論も読むことなくじっとしている傍ら映画は大ヒットを飛ばしている。みんなの映画なのだ。みんなが俺の映画だ私の映画だと言っていて欲しい。

とにかくこの十日間程『この世界の片隅に』のことしか考えられていない。原作漫画も買い、読んだ。紙の本で買おうかと思ったが、いい機会だと思いディスプレイが壊れたまま放置していたKindleを修理してそれで読もうと考え、サポートセンターに電話すると若い男の声、前置きの「えー」と「あー」が異様なほど長く、異様なほど長いなと考えていたために訊かれたメールアドレスを二回読み間違え、その分「えー」「あー」に余計に付き合うことになったが、無料で新しいKindleを送って頂くということになり、二日で届いた。Kindleがある生活が戻って来た。感謝。

 

十二月に入っている。いろいろ書きたいことがあったはずなんだが、忘れてしまった。最近ソリティアのアプリを落とした。ヤバい。十二月に入ってソリティアをやっているようでは本当にヤバい。しかし何故ソリティアをやることをヤバいと感じるのだろうか。何も考えず無心でソリティアを楽しむ精神力もなく、怠惰として札を捲り並べながら焦燥に侵食されてゆくソウルを浄化するような規律も持てず、そうじゃねえだろの掛け声がこだまする脳内がほら、この空を切る腕の運動が何を求めてのものなのかも解らぬままここ数年、数十年。火焙りだ。火焙りだよお前なんかは。しかし生活がある。それでも続く生活があるのでファイトなのだ。『この世界の片隅に』みんな観て下さい。

風邪とアルコールと宿酔

身体が重い。季節が変わって来ている。寒い。そして熱い。風邪をひいた。本当であれば『この世界の片隅に』の感想を鉄を熱いうちに叩くがごとく書き殴りたかったのだがそうともいかないのは頭がぼうっとしてしまって考えるパワーが死んでしまっている。数日前ポケモンの新作が発表され今それをやりたい。それを無心でやりながら時間をどうにかこうにか、そういうところまで俺は弱っている。弱っているのにも関わらず弱っていない人間の顔をして今日もまた映画を観に行って来てしまい、かつて映画に日常を侵されていた頃の感覚を思い出し、二重に病気を患っている。

 

なぜこうも、身体が弱りかけのタイミングで遊びの誘いが立て続け襲ってくるのか。そしてヘラヘラしつつそれに乗っかる君の名は。大体俺が風邪をこじらすのは酒が原因のことが多く、身体が怠い、重い、だるおも〜な状態のときにアルコールがそれを消毒してくれた試しがない。弱った身体に回りが早いアルコールがもたらす酩酊に身を任せてもう一杯もう一杯とやっていると「今が10年後からタイムリープしてきた今日なんだよ」などとふざけ切ったことを隣、抜かしていやがるので「はー!!!」と天狗を演じる市原隼人のような声を発しつつ立ち上がり様テーブルに臑を勢いよくぶつけ俺は片脚を引きずるようにしてトイレに向かい鏡に映る自分の姿を10年振りに遭った旧友を見るような目つきで観察し、用を足し吐いた。口中に広がる酸っぱさと、既に風邪でやられている喉を胃酸がさらにやらかしてくれている。そっから云々かんぬん、家に到着し眠り午過ぎに起き、宿酔と悪化した風邪がバケモンにはバケモンをぶつけんだよの精神に則りボーイミーツガールして終わりなき三角締めを決めてくるので、とりあえず水を一杯、無性に塩気のあるものが食いたくて近くのファミリーマートに向かいカップ麺を2つとファミチキを買い、すべて一口食べて残してしまった。その後、当然のように吐いた。

 

と、それが昨日の話。本日の俺は。遅く起きた朝は。俺は震えるほど体調が優れない。気張って観に行った映画『ミュージアム』。ああそうですかといった内容で、俺は多分これからポケモンをダウンロードします。それでは。

季節と大人とチュッパチャップス

映画館によく行くので、当然に映画の予告編もよく観ることになる。最近は『ミュージアム』という小栗旬が主演の映画の予告をよく流している。11月12日公開。予告編で「この秋公開」と嘯いているが俺は今日、昨年の大晦日と同じ格好で外出している。もうそろそろ冬と言っても問題ない気温になっている。夜、風呂上がり外に出ると冬が匂っていることもあった。ただ、11月12日は秋らしい。わからなくはない。自分の中で季節は桃鉄基準になっていて、12月に入らないと冬という感じがしない。「社長のみなさーん! 12月ですよー!」というアイキャッチを挟んで黄金色だった画面が雪化粧されて初めて冬、もう赤マスには止まれない。現実にはそんな号令をかけてくれる人はいないので、季節の境目は斯くも曖昧である。ああ僕はいつごろ大人になるんだろうと武田鉄矢が唄っている。曖昧すぎる。桃鉄のように明日から大人ですよと号令をかけてくれる人がいたか。成人式。あれは一体なんなんだ。ウケるかと思ってハットを被り同級の友人と公民館に向かったが、渾身の冗談としてのハットがその人にとっての当たり前として消化され、存在がすべっている存在として久々に会う面々に半笑いで挨拶し挨拶されている恥ずかしさに耐えられず、しかしここでハットを脱ぎ片手に恥の象徴ぶら下げているというのもクソダサいという王手飛車取り状態の中、もう爆発してしまってもよいでしょうかの顔でトイレ脇にある給水器で水をガブ飲んでいる俺に果たして「新成人のみなさーん! 大人ですよー!」の号令は響いていたか。

 

ドラえもんがくれた御法度ハットを被った俺に「もしかして」と話しかけて来た男があった。まったく記憶がなかったので、え、あなた、誰の表情をしていると「寺師、オレ寺師、覚えてる?」と少し照れくさそうに笑っている寺師という男は10人中8人はイケメンだと認定するような好青年で、はいはいはいはい寺師、覚えてるよ、覚えてる。

寺師は幼稚園の同級生だった。背の低かった俺ら、背の順で前方の前後になることが多く、よく一緒に遊ぶ仲だった。寺師は優しい奴だった。どちらかといえばおっとりしていたが、サッカーをやっていたので俊敏でもあった。幼稚園の時分に自分の身を守るには、人を笑わせるか或はスポーツが出来なければならないので、寺師は優しくてスポーツが出来る奴として自分の居場所を確保していた。

寺師との最後の記憶。卒園間近、幼稚園の近くの団地の脇にある空き地に集まってちょっとしたピクニック、という名目のもと父兄の方々の親睦を深める集まり、のような会でのこと、屋外でお菓子を食べたりすることが出来るという特別感にやられて俺はその日かなりはしゃいでいた。各々が持ち寄ったお菓子を分け与えたり、分け与えられたり、つまり交換しつつそれらを頬張っていた。そこに寺師がいた。彼はもったいつけたようにチュッパチャップスチェリー味を虎の子のように見せびらかしていた。はしゃいでいた俺はウケるかと思って、そのチュッパチャップスチェリー味に包装紙の上からぱっくり行った。こういうエキセントリックな冗談も今日の俺は飛ばすぜの態で。ドン引きされていた。ドン引きされているときに起こる鈍色の沈黙があった。寺師と俺との間に。ややあって「これ、もう食べられないからあげるよ」と哀しそうな顔をして哀しそうな声色で言った。違うんだ。と思った。それではまるで俺があなたのチュッパチャップスチェリー味を奪おうとしている様ではないか、違うんだ、俺は飽くまで。包装紙を剥がせばまっさらなチュッパチャップスチェリー味がほら、ね、飽くまで、なんだ。ウケるかと思ったんだわかるか、ウケるかと思ってのエキセントリックなんだよ、という言い訳をしたくて仕様がなかった口にチェリー味いっぱい広がって、美味いんだチェリー味、そこからの記憶が一切ないくらいに。

 

それを思っている。ヘラヘラしながら「背ぇ伸びたなあ」などと言いつつ寺師に相対している俺は。このハットから発せられる違うんだの声に寺師お前気付いているか。気付いていただけているだろうか。別れの記憶と再会の記憶がまるで同じ思い出で閉じてしまう。寺師はなにも悪くない。ただ、寺師の前で悉く違ってしまう俺がすみませんなのだ。

そんな俺にも等しく号令は届いている。いたはず。酒を飲み、金を払い、酔っぱらった頭で唸りながら眠ったりする。それは多分、大人のすることだったような気がする。ただ何も変わってくれない。今も「違うんだ」が衛星のように俺のぐるりを渦巻いている。先日幼なじみの女の子と酒を飲みながら、ファッションは最終的に女子高生に降りてくるだとか『貞子vs伽倻子』の話などをしながら俺はずっと違うんだと思っていた。こんな話がしたいんじゃない。心の中では。マイクロフォンの中では。それでも大人は酒を飲み酒に酔う権利を有している。ありがてえ。大人とは、季節とは、何も理解出来ずに酒を飲んでいる。誤解を弁解する前に頑張った方がいい。それで良いのか寺師。