その辺の最果てで頑張れ

応援こそが 今日も今日とて

映画『それでもボクはやってない』感想

その日、ブックオフで漫画を立ち読んでいた。高校一年の初夏、下校中に友人と三人で入店し、各々が各々の読みたい漫画を立ち読んでいる。GANTZを読んでいた。玄野計がチビ星人に追い込まれている頁を捲りながら、俺の肩を叩く手があった。振り返るとそこに警察がおり、わけがわからないままパトカーに乗せられた。怪訝そうな顔をして周囲が俺を見ていた。わけがわからないまま、俺は痴漢の嫌疑を掛けられていた。

周防監督による本映画が封切られたのは2007年のこと。相当に話題になっていたが、あまりにも切実なテーマであった為、却って鑑賞することが出来ないでいた。公開から12年を経て、Amazonprimeにて無料で鑑賞。一刻も早く観るべき映画であった筈が、時代を跨ぐことになってしまった。

クリーム色のニットキャップを被った20代後半くらいの女性が、眼に涙を浮かべながら俺を見ていた。一瞬だけ眼があった。その女性の脇に警官がついている。俺を指差している。眼の大きい女性だった。パトカーに乗せられた俺は、後部座席に着した。着させられた。両サイドを警官に挟まれる。程なくして車両は発せられた。警官は共に笑っていた。お前がやったんだろと言われる。なんで痴漢なんてしたんだと肘で小突かれる。鬼の首をとったように笑っている。助平な笑いであった。何のことかわからないし、俺はただ漫画を立ち読んでいただけである旨を伝える。やったならやったって言った方が楽だぞ、まあ詳しい話は署で聞くから。16時前後で、まだ日は高かった。運転手は何も言わず車を走らせている。警官同士が俺を挟んで何やら会話をしており、時々高笑いを上げている。俺はこれから行くことになるらしい署までの10分弱を、手をグーパーさせながら過ごしている。

物語は突然始まる。朝の通勤ラッシュ時、15歳の女子中学生のスカートを捲し上げ、その臀部を触った嫌疑を掛けられた加瀬亮は留置所に拘留され、取り調べを受けることとなる。当番弁護士には示談金を払えば公になることなく釈放される為、容疑を認め金を収めることを勧められるが、果たして身に覚えのない加瀬亮は、徹底して容疑を否認する態度を取る。外部からの助けもあり、冤罪と認めさせる為の法廷劇が始まる。映画内に於いては一貫して加瀬亮は冤罪であることが前提として話が進んでいくので、善悪がハッキリとしていて大変観易い映画となっている。冤罪であることが映画を観ている側としては自明である為、何とか有罪を獲得しようとする警察官、検事、裁判官が、わかりやすく悪として描かれている。但し、その悪の在り方についてのエクスキューズも設けられている。畢竟警察官にしろ、検事にしろ裁判官にしろ、各々の目指す着地点が明確であり、そこに着地することが最優先事項として在る為、本質的な善悪を問うこと以前に、いかに当人にとって有利な結末を迎えるかに従事している。良くも悪くもどこまでもサラリーマンであり、公務員なのである。そんな中で加瀬亮、ならびに彼の弁護人の主張が痛い。勝ち目が薄い、利になる可能性の乏しい裁判を挑み、しかし全うな正義を、本質的な善を掲げ、戦う様が延々と続く。

署に到着した俺は3階の個室に通され、着席を促される。ドアだけは開け放しになっている。後に知ったことであるが、隣の部屋に被害者の女性がいたらしく、鏡越しに俺の姿を確認していたらしい。本当にあの少年が犯人で在るのか、痴漢をされた状況等を警官に説明しながら、俺を、俺の人生を裁いていたのだった。俺はただじっとしていた。しばらくすると先ほどパトカーに押し込んだ警官とは別の2人が部屋に入ってきて、当時の状況を訊いてくる。当時の状況もクソもなかった。俺はただ漫画を立ち読んでいただけであり、それ以上のことは何も無いことを伝える。周囲の様子はどうだったか。何かが触れた感触はなかったか。一通りのことを訊かれた後、やったならやったと言った方が良いぞと笑いながら言う。笑いはもう一人の警官にも伝播し二人顔を見合わせて気色悪く微笑みあった後、俺の方を向き直り、しばらくここで待っているように伝える。

本作に於いて正義は終始被告人である加瀬亮の側にある。しかし被害者は確かに存在している。俺の一件についても、結局数時間拘留された後、被害者女性が俺を犯人では無いかもしれない旨を警官に伝えて頂いたらしく、俺は先程とはまた違う警官に部屋を出るよう促され、再度パトカーに乗せられた後、当該のブックオフまで送り届けられた。丁度警官が部屋に入ってきた時、あまりに退屈だったため欠伸をしていたら、眼に溜まった涙を見て、警官は何だ泣いてるのかと嬉しそうに問うた。こいつには恥という概念が無いのだ。車内、良かったなと警官に言われたが、俺はそれを無視した。その後、降車まで一切の会話はなかった。この数時間は何も無かったこととされ、しかし空は既に真っ暗であった。被害者は全く救われることがなく、ただ被害者の数が一人増えただけであった。

映画内でも俺が警官にそうされたように、お前が犯人に違いないという態度で取り調べを受けている。俺がそうされた以上の強い圧力で押し迫られている。映画を観ていて当時のことが思い出され義憤に近い感情が圧迫していた。それでも否認貫き続けるを加瀬亮に対し、警官が業を煮やす。相手をシロだと思ったら落ちないぞと一人の警官が言う。印象的な科白だった。逮捕された人間の容疑を固めることが彼等の仕事なのであり、それによって将来と給料が左右されることになる。俺も会社組織に属している人間として、彼等の事情も分かってやれないことは無いし、警察組織全体が腐っている訳では無いことは理解できる。それでも取り調べは終始杜撰であり、裁判は疑わしきは罰せよの姿勢で、本質的な罪を裁こうとはせず、ただただ眼前に広がるラッキーギルティをお役所的に裁こうとするのみである。この映画は要するに、加瀬亮が巻き込まれた痴漢冤罪の一件を通じて、司法機関のあり方と意義を問う話となっている。

俺は法は尊いものだと思っている。日本国民である以上、日本国の法は守らなければならないと思う。だからこそ、法の責任は重く、それを用いて人を裁く立場にあるものの責任も重くなくてはならない。良い奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでも無い世の中で、俺はしかし一時的にでも俺を犯人扱いして笑った警官を一秒も赦したことは無い。その責任は俺にあるが、そうさせた責任は奴らにあった。願わくば相応の覚悟を持って職務に臨んでほしい。但し、痴漢は犯罪である。ダメ、ゼッタイ。

平成映画ベスト10

平成の記録として、平成に生まれ平成を生きた記録として、一先ずの区切りとして。

以下、選出のルール。

  1. 平成に日本の映画館で公開された映画(名画座リバイバル除く)
  2. 同一監督は一作品までの選出
  3. 同一シリーズは一作品までの選出

上記3点を最低限の縛りとして、リアルタイム性を重要視する為、映画館で鑑賞している映画の優先度を高くした。短評は書いてはいるが、ネタバレは一切なし。

以下、年代順に。

 

✳︎

 

レオス・カラックスポンヌフの恋人』(平成3年/フランス)

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あらすじ

パリのポンヌフ橋で暮らす天涯孤独な大道芸人アレックスは、失明の危機と失恋による心の傷に絶望する女子画学生ミシェルと出会う。2人は恋に落ちるが、ミシェルには両親から捜索願いが出されていた。

※映画.comより引用

予告編


映画『ポンヌフの恋人』予告編

 18か19歳の時分、名画座で鑑賞。痛いぐらい刺さる映画だった。美しく、絶望的で、しかし鮮烈な救済があった。あるように映った。童貞だった僕にも、童貞を飛ばした僕にも等しく。憧れの愛、夢の呪い、俺の恋空として。

 

 

北野武ソナチネ』(平成5年/日本)

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あらすじ

北嶋組幹部・村川は、組長から沖縄の友好団体・中松組が敵対する阿南組と抗争しているので助けてほしいとの命令を受けた。村川の存在が疎ましい幹部の高橋の差し金だったが、結局村川は弟分の片桐やケンらを連れて沖縄へ行く。沖縄では中松組幹部の上地や弟分の良二たちが出迎えてくれるが村川らが来たことでかえって相手を刺激してしまい、抗争はますます激化。ある者は殺され、ある者は逃げ出す。生き残った村川、片桐、ケン、上地、良二の五人は海の近くの廃家に身を隠した。ある夜、村川は砂浜で女を強姦した男を撃ち殺した。それを見て脅えもしない若い女・幸はいつのまにか村川と一緒にいるようになる。東京に連絡を入れても高橋がつかまらず、イラつく片桐をよそ目に、海辺でロシアンルーレットや花火や釣りに興じる村川。だが殺し屋などによってケンも片桐も上地も殺されてしまう。やがて沖縄にやって来た高橋を村川は捕まえ、阿南組と組むために村川たちを破門にし、中松組を解散させようと企んでいることを聞き出して彼を殺す。そして手打ち式の会場に襲撃をかけるが、生き残り、幸の持つ廃家へ向かう途中、村川は鈍口をこめかみに当て自ら命を絶つのだった。

※映画.comより引用 

 予告編


映画「ソナチネ」劇場予告

 選出した中では唯一映画館で観ていない作品。北野武映画を入れたいという気持ちが先ずあって、それじゃあ北野映画の中で何を入れようかと迷った末が今作。話自体もさることながら、ワンシーンワンシーンがとにかく鮮烈で隙がない。それどころか、意図的に隙を作り出しながら、その隙さえも映画の一機能として組み込んでしまう緻密さ。ふと北野映画が観たいなと思った時に、いつも最初に手が伸びる作品として。

 

 

平山秀幸学校の怪談2』(平成8年/日本)

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あらすじ

塾の講師をしている理香は教え子たちを連れて、春休みの集中合宿のために自分の故郷に帰ってきていた。合宿に参加するのは塾の生徒たちのほか、理香の弟の司をはじめとする地元の子供たちだった。理香は都会の子供と地元の子供との交流を目的にこの合宿を計画したのだが、都会の塾組と全くソリが合わない司は、ことあるごとに衝突を繰り返している。宿泊所である蓮正寺の真行おしょうは、お寺の隣にある南小学校で数十年前に起きた

映画.comより引用

予告編


映画「学校の怪談2」予告 Gakkou no Kwaidan 2 (1996) trailer

 学校の怪談シリーズをどうしてもねじ込みたいという気持ち有りき。おそらくはアメリカを源流としたジュブナイル・ホラーを地で行く一作で、僕のノスタルジーの源泉にもなっている。また、弟と映画を通じてコミュニケーションが出来たのは今作が初めてだったように思う。映画としての出来云々より、あの時の記憶として。

 

 

チャウ・シンチー少林サッカー』(平成13年/香港)

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あらすじ

かつて人気サッカー選手だったが、今は雑用係になっているファンは、少林拳を愛する青年シンと出会い、ブロック塀を蹴り崩す彼の脚力を見込んで、サッカーを教え込む。シンは少林拳仲間を集めてチームを結成。一方、敵チームはハイテク・トレーニングと筋肉増強剤で試合に備えていた。

※映画.comより引用

予告編


少林サッカー(日本語吹替版)(プレビュー)

 初見は小学校の時、テレビで。まだまだ自分一人で映画館に行ける年齢ではなく、この時代は基本的にテレビ鑑賞がメイン。アジア映画も一本は入れたかったので、大好きなチャウ・シンチー監督作から。負け犬達が立ち上がりかつての光彩を取り戻す、手垢のついたストーリーラインながら、こんなにも興奮できる。兄弟の覚醒シーンは何度見ても最高だし、負け犬の強烈な負け犬っぷりも、香港映画っぽくて良い。

 

 

⑤デイヴィッド・R・エリス『スネーク・フライト』(平成18年/アメリカ)

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あらすじ

「数千匹の蛇がジャンボジェット機を制圧する」という奇抜なアイデアを元に「デッド・コースター」「セルラー」のデビッド・R・エリス監督が作り上げたB級パニック・アクション。組織犯罪の重要証人となった高校生の暗殺目的のために飛行中の旅客機に数千匹のヘビが放たれる。証人護送のため、その旅客機に同乗していたFBI捜査官(サミュエル・L・ジャクソン)がパニック状態の機内で対応を迫られる。

映画.comより引用

予告編


Snake Flight JPN Trailer

 この辺りから一人で映画館に行くことも多くなった。バカ映画といえばバカ映画である。但し、前時代のモンスターパニック映画を正確に継承、ブラッシュアップし、マジで丁寧に作るとこんな傑作が生まれる。バカ映画であることに異論は無いが、心の底から大真面目な映画。監督のデイヴィッド・R・エリスは早逝してしまったことが非常に惜しまれる。

 

 

 ⑥白石晃士『オカルト』(平成21年/日本)

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あらすじ

ノロイ」「口裂け女」などで知られるホラーの鬼才・白石晃士が、オカルト・ドキュメンタリー番組を製作する人々のスリルや恐怖を描いた意欲作。「アカルイミライ」「トウキョウソナタ」の黒沢清監督や漫画家の渡辺ペコなどが特別出演している。3年前にとある観光地で起きた通り魔殺人事件に興味を持った映画監督の白石は、事件の唯一の生存者で現在はネットカフェ難民の青年・江野に取材を敢行する。

映画.comより引用

予告編


予告編:『オカルト』(Trailer:『occult』)

 映画の一挙手一投足が非常に綿密であり、しかし見ようによってはバカバカしく映るほどのパワープレイも見ることが出来る。この映画が示す様々な問題提議を語るのも良いが、何より圧倒的なのはラストシーンで、あのラストシーンがこの映画をもう一段階あげているというか、映画として最高の仕掛けとなっている。毒にも薬にもならない作品が多い中、ここまで呪詛にも救済にもなり得る映画を撮り切っていただき感謝。

 

 

宮崎駿風立ちぬ』(平成25年/日本)

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あらすじ

宮崎駿監督が「崖の上のポニョ」(2008)以来5年ぶりに手がけた長編作。ゼロ戦設計者として知られる堀越二郎と、同時代に生きた文学者・堀辰雄の人生をモデルに生み出された主人公の青年技師・二郎が、関東大震災や経済不況に見舞われ、やがて戦争へと突入していく1920年代という時代にいかに生きたか、その半生を描く。幼い頃から空にあこがれを抱いて育った学生・堀越二郎は、震災の混乱の中で、少女・菜穂子と運命な出会いを果たす。やがて飛行機設計技師として就職し、その才能を買われた二郎は、同期の本庄らとともに技術視察でドイツや西洋諸国をまわり、見聞を広めていく。そしてある夏、二郎は避暑休暇で訪れた山のホテルで菜穂子と再会。やがて2人は結婚する。菜穂子は病弱で療養所暮らしも長引くが、二郎は愛する人の存在に支えられ、新たな飛行機作りに没頭していく。

映画.comより引用

予告編


『風立ちぬ』予告編特別フィルム 4分13秒

宮崎駿監督作として。正しくなさ、矛盾、誤解、偏愛、そういった諸々を、フィクションとして強靭に物語る今作は、宮崎駿のキャリアの総決算として最高の出来であったし、一つの到達点のように思えた。結果的に引退は出来なかったが。史実さえも物語の要素として消化することで、虚構の強度を一段と高めている。さすがに周知されているだろうが、宮崎駿はずっとマジでヤバイ奴なのである。

 

 

ジョージ・ミラー『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』(平成27年/豪・米)

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あらすじ

荒廃した近未来を舞台に妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」(1979)のシリーズ第4作。85年の「マッドマックス サンダードーム」以来30年ぶりの新作となり、監督・脚本は過去3作同様にジョージ・ミラーが担当。過去3作でメル・ギブソンが扮した主人公マックスを、新たに「ダークナイト ライジング」「インセプション」のトム・ハーディが演じた。資源が枯渇し、法も秩序も崩壊した世界。愛する者を奪われ、荒野をさまようマックスは、砂漠を支配する凶悪なイモータン・ジョーの軍団に捕らえられる。そこへジョー配下の女戦士フュリオサらが現れ、マックスはジョーへの反乱を計画する彼らと力をあわせ、自由への逃走を開始する。

映画.comより引用

予告編


映画『マッドマックス 怒りのデス・ロード』予告編

待った。公開日の半年くらい前に特報を見た。何だか凄い映画が来る予感がする。マッド・マックスシリーズはすべて観てはいるが世代では無い為、熱狂的なファンでは無い。ただ一本の映画として凄まじい気配を感じていて、公開日に観に行き度肝を抜かれた。アクション映画だけでなく、映画の歴史の中継点として今後語られることになるべき作品であるように思う。

 

 

片渕須直この世界の片隅に』(平成28年/日本)

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あらすじ

第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したこうの史代の同名コミックを、「マイマイ新子と千年の魔法」の片渕須直監督がアニメ映画化。第2次世界大戦下の広島・呉を舞台に、大切なものを失いながらも前向きに生きようとするヒロインと、彼女を取り巻く人々の日常を生き生きと描く。昭和19年、故郷の広島市江波から20キロ離れた呉に18歳で嫁いできた女性すずは、戦争によって様々なものが欠乏する中で、家族の毎日の食卓を作るために工夫を凝らしていた。しかし戦争が進むにつれ、日本海軍の拠点である呉は空襲の標的となり、すずの身近なものも次々と失われていく。それでもなお、前を向いて日々の暮らしを営み続けるすずだったが……。

映画.comより引用

予告編


映画『この世界の片隅に』予告編

正直この作品が一番入れるか迷った。あまりにも日本映画が多くなってしまうし、アニメ映画では『風立ちぬ』を入れてしまっている。それでも捨て置けなかったのは、日本の戦争映画として、これまでの流れを完全に刷新してしまうほど画期的な作品であったからである。原作の力もある。ただ、アニメ化することに大きな意義がある映画だった。今を生きている、僕を含めた無数のすずさんはこの映画に救済されたであろうし、これからもこの映画が手を差し伸べて行くだろう。

 

エドガー・ライトベイビー・ドライバー』(平成29年/英・米)

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あらすじ

ショーン・オブ・ザ・デッド」「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」などで知られるエドガー・ライト監督が、音楽にのりながら驚異の運転テクニックを発揮する若きドライバーの活躍を描いたオリジナル作品。天才的なドラインビングテクニックで犯罪者の逃走を手助けする「逃がし屋」をしているベイビーは、子どもの頃の事故の後遺症で耳鳴りに悩まされているが、音楽によって外界から遮断さえることで耳鳴りが消え、驚くべき運転能力を発揮することができる。そのため、こだわりのプレイリストが揃ったiPodが仕事の必需品だった。ある日、運命の女性デボラと出会ったベイビーは、逃がし屋から足を洗うことを決めるが、ベイビーの才能を惜しむ犯罪組織のボスに脅され、無謀な強盗に手を貸すことになる。

映画.comより引用

予告編


『ベイビー・ドライバー』2018年1月24日Blu-ray &DVD & UHD発売/同日Blu-ray&DVDレンタル開始

この映画の本当に痺れたところをネタバレなしで書くことは不可能で、あえて書くとすればエドガー・ライト監督作の、ひとまずの集大成として、本当に救われた映画であった。少なくとも僕にとっては。観たタイミングもあるのだろうが、その観たタイミングまで含めて。ミュージカル風のカーチェイスも斬新で観てて気持ちが良く、それがあからさまな斬新さとして展開してないスマートさも品が良い。

 

✳︎

 

というわけで10本。自分ですら何でこれが入らないんだ、という気持ちがある。そのような作品が山のようにある。列挙をすれば枚挙に暇がないし、それをやってしまったら10本を選出した意味が薄れてしまうので、敢えて入れようか悩んだ映画群は書かない。

平成、良い映画だらけだ。ありがとう。令和でも引き続きよろしく。

内村光良と手首と足首

ウッチャンナンチャンというコンビがある。そのコンビの片割れに、内村光良という男がいる。ウッチャンナンチャンウッチャンを担当されている。わざわざ紹介するまでもない。めちゃくちゃテレビに出ている。めちゃくちゃ売れている芸人である。その内村光良冠番組に、内村さまぁ〜ずという番組がある。テレビでは東京MX系列で放映しており、Amazonプライムで隔週にて更新されている。その番組内、2011年収録の#122、バナナマンがゲストの回にて、ウッチャンが手首を痛めるくだりがある。フラフープを前方に放り、それを倒すことなく輪の中をスムースにくぐることが出来れば成功という企画の中で、ウッチャンが手を着いた時に手首を捻り痛めたのであるが、その場にいるさまぁ〜ずバナナマン両コンビの悪ノリで、手首を痛めたウッチャンを繰り返しチャレンジさせ、さらに痛めつけるというおもしろが発動されている。次の収録時にも手首は治っておらず、1ヶ月後、1年後、3年後、5年後の収録時にも手首の違和感が残り続けており、一生物の怪我を負わされたと、定期的にその悪ノリのVTRが流れるのである。

そんなわけがあるのかと思う。特に骨が折れているわけでもなく、収録後医者にかかり適切な治療を受けているのにも拘わらず、果たして数年にわたり、そしておそらく一生にわたり、手首に違和感が残り続けるなどということがあるものなのか。勿論聞いたことはある。雨の日になると古傷が痛む、冬の寒い日には腰が痛む、そのような話は聞いたことはあるし、そのような現象に悩まされている人間も見たことがある。ただし私が見たことがある人間は押し並べて持病を患っていたり、老人と言える年齢であったりした。ウッチャンはどうか。決して老人と言える年齢ではなく、当該の怪我にしても画面越しで見ている限り、その程度は高が知れている。それでも違和感が残り続け、ボールを投げる際は手首のスナップゼロのフォームにて投球を行なっている。

そんなわけがあるのかと思っていた俺はしかし、ここ1ヶ月ほど胡座をかくことが出来なくなっている。厳密に言えば右の脚を下にして胡座をかくことが出来なくなっている。何故か。痛めたからである。捻ったからである。胡座をかき足首が床に接地すると当該の箇所が未だに痛み、一向に治ろうという気配を感じられずにいる。急な方向転換、踵を返すという表現がしっくりくるようなターン、それを行う際に於いても、これははっきりと激痛が走り顔をしかめる。場合によっては小さく呻いたりする始末である。

そんなに大きな怪我になるはずがなかった。偶にある次の一歩のミスである。右脚を出し、左脚を出す。それを繰り返し歩く。歩ける。この当たり前体操が当たり前に行えない場合がある。左脚を出し、右脚を出す際に、その着地がうまく決まらず、るんっ、となった。るんっ、となり内側に曲がった。これまでも経験していることである。但しせいぜいがその日1日脚が痛む程度で、数日にわたり痛み続けるということはなかった。まして既に1ヶ月が経つ。そんなわけがない。いやあるのだ。現に胡座をかけずにいる俺は、確かにここに在る。

人生、そういったフェーズに突入しているのかの感。未だ20代の俺は、既にひとつ階段を昇ろうとしているのだろうか。早過ぎないか。生き急ぎ過ぎていないか右脚。そんなわけないよウッチャン、あなたはまだ一時の怪我が一生に残るほどの年齢ではないよと嘯いていた俺は、これから一生右脚を下に胡座をかくことが出来ないのか。ウッチャンあなたはもう一生手首のスナップを効かせてボールを放ることは出来ないのか。春の夜のぬるさが勿体無く、一駅余計に歩いてみたりする俺の脚。桜もう葉をつけ始めていて、鼻孔に新しい季節の匂いが広がる。胡座をかけずに俺は立膝でキーボードを叩いている。内村さまぁ〜ずAmazonプライムにて好評配信中。刮目せよ。

体調不良と薬と日曜

身体が弱っているところにさらに無理をして体調が死ぬ。今週の月曜日に悪寒を感じ、それはそれとして酒を飲みに行ったのだが、そんなことをしていては駄目なのである。どの道数日間は熱でうなされるのだからと高を括るのではなく、悪寒を感じた段階で直ぐに医者に掛かり安静にし、一刻も早く回復のポーズを取るべきなのだ。しかし俺は飲みに行ってしまった。これは生き方の問題である。その結果がこう。

無理をして酒を飲みに行った翌日、熱っぽさはあったはもののとりあえず市販の風邪薬を飲んで会社に向かう。出社して仕事のスイッチを入れれば却って気が紛れ家で布団に籠り唸っているよりも、意外となんとかなったりするものであることを俺は経験から知っている。本日もそのようであれば良いと考えての出社であったが、始業から1時間ほど過ぎたあたりから震えが止まらなくなってくる。具合が悪そうに働くのは美しくない。そんな状態なら休めよと思うし、それともなんだ、こちらに優しい言葉でもかけてもらいたがっているのかと勘ぐってしまう。甘ったれんじゃねえタコ。さっさと家に帰って休め馬鹿。だからこのように震えを制御できない事が恥ずかしい。恥ずい。このように恥に塗れたまま仕事など出来ないので、事務所内にある体温計をレンタルし検温してみると40度を超えており、思わず笑ってしまった。半笑いで上司に報告し、本日は病院に行きそのまま帰る旨を伝える。

医者に掛かる。感染性の腸炎であるとのこと。小腸が機能しなくなっており栄養が摂取出来ていないとのこと。小腸から栄養が摂取出来ないと、身体は皮下脂肪を燃焼させケトン体なる物質を発生させ、それをエネルギーに変換するらしいのであるが、このケトン体の血中濃度が一定の数値を超過すると医学的に芳しくないらしく、私は4+とのことで入院を勧められたものの、金が勿体無いので拒否した。5以上であると即刻入院らしい。ギリギリである。俺はギリギリの状態で昨晩、渋谷にてルースーチャーハンにハイボール等の愚かを実行していたのである。それでも入院にならずに済んで良かったと点滴を受け帰途につく俺に午後の陽の光が容赦無く、温暖であるはずの気候もしかし冬服のコートの内で尚治らない身体の震えと強烈な関節痛が全盛期のノゲイラの寝技のように絡みついてきて、最寄駅から家までの徒歩10分弱が永遠に続くように錯覚するほど体内時計がスローになっている。高熱を出すと時間の感覚が狂う。早くなることはない。信じられないくらい体感速度が遅くなる。ベッドで眠り起きて、3時間程度経ったかと思い時計を見てもまだ40分しか経っていない。そんなようなことがよくある。なんとか家に着く。処方された薬を飲み眠る。それをあと1日。

翌朝はまだ具合が悪かったものの、昨日ほどではない。薬に感謝。医者からは3日間の断食と、2週間の流動食生活を宣告されている。断食については守ったが、体調がそれなりに戻っている今、流動食生活の方はすでに反故にしている。相変わらず腹の調子は優れないが、何とかなっている。

部屋が薄暗くなってきている。競馬に負けた日曜の夕方。そろそろ電気を付けたほうが良い。外にはまだ生活の音が溢れており、俺も本と財布を持って適当に外に出る。もう少し暖かくなってほしい。マスクなしで出られる程度に花粉の飛沫がおさまってほしい。これからもっといい季節になり、そして我々は令和へ。

休日と過程と結果

何も予定の無い最高の週末。金曜の夜、仕事終わりにピカデリーで『ダンボ』を観た翌日の土曜、同じくピカデリーで『レゴムービー2』を鑑賞し、カレーを作ったりする。料理は得意では無いが好きだ。これとこれとこれを入れればその味になる。過程がはっきり結果に結びつくことに痛快がある。分かり易くて良い。但し料理の中途、このまま永遠に料理が出来上がらなければいいという気持ちもある。料理の過程そのものが楽しいので、それが終わることに対する物悲しさと、これまでの過程が単純に味として判断されることに対する詰まらなさと恐ろしさがある。それでも俺は飯を食わなくてはならないし、飯を食わなければならない以上作らなければならない。過程の内にいる間は居心地良いが、仕上げなければならない。何事においてもだ。美味かろうが不味かろうが。そういうことなんですよ。それが全部ですよ。出来上がったキーマカレーは美味かった。

そして本日。日曜日。前日の予報で晴れることはわかっていたので、朝は早めに起きて洗濯をし、桜も咲いていることだしどこか外にでも出ようかと考えながら昨夜床に就いたものの、朝起きたら8時半、ああちょっと寝過ごしてしまった感がある時間だ、と思いながらベットの中で愚図愚図していると二度寝をしてしまい結局10時起床。私のクールポコが餅をついている。そうしている間にも刻一刻、とりあえず洗濯。洗濯は良い匂いがするからありがたい。汚れた服が綺麗になるも良い。素晴らしい。但し取り込むのが面倒なのは、料理の出来上がりに対する名残惜しさと似ているのかも知れない。これを書いている現在も外に干しっぱなしになっている。家に帰るまでが遠足、取り込み畳み収納するまでが洗濯の気持ちを持つべし。1週間分になってしまった衣服類はそれなりに量がある。セックスのようなリズムで洗濯機が回る音を後ろに、YouTubeのトップページで私におすすめされている適当な動画見ながら1週間分が洗い上がるのを待つ。この時間が好きだ。採光面積が低く、やや薄暗い部屋の中でじっと仕上がりを待ち、今日という休日をどのように過ごそうかを思案しているこの時間が。自転車のベルや車の走り抜ける音、子どもの嬌声が聞こえる。端的な平和が満ちている。

結局どこへ向かおうか決まらなかったが、とりあえず外に出てみる。ウールのカーディガンにシャツで寒くない。暖かさに感謝。まだ陽の光は弱いが、これからだろう。本日迄の吉野家のクーポン券が財布に入っていることを思い出し、最寄駅の吉野家で牛丼小盛にクーポンを使用して得た無料の生野菜を腹に納め、さてどうしようどうしたい。そーりゃもうのってくべきでしょべきかなべきだよべきなのべきとも。春の陽気にそそのかされちまう。そんでもう行っちゃうか、なんて六義園。暫く行っていないし、ちょうど気候も良く桜のシーズンでもあるし。丸ノ内線、山手線を乗り継いで駒込、駅のホームで「六義園は南口になります」などというアナウンスが流れており迷う心配が無い。改札を抜け外に出るとすごい、人がたくさんいるし、その人々が皆六義園に吸い込まれていく。つか吸い込まれていかれようとして、チケット売り場の行列に誘導されている。園の側面を巣鴨方面に向けて行列が続いており、もう止めだ止めの気持ち。それにしても駒込自体久しぶりで、大学が文京区にあり、当時から散歩・散策が好きであったのでこの辺りも何度か歩いている。ひとまずは巣鴨方面に歩いてみる。いよいよ陽も照ってきており、ますます暖かい。散歩。何もなさを楽しむだけでそれ以上は何もない。無意識に没頭している。目に見えるすべてを目に収めてゆく。格好良い室外機、蔦に侵食された民家、人が住んでいるのか不明なトタン小屋、ぶりんぶりんの桜、そんなわけないだろというほど細い路地、突然現れる良い感じの公園、生きた化石のようなコインランドリー、巨大なサボテン、めちゃくちゃに自転車を漕ぐ児童、歩幅が15センチの老人、何も考えずに歩いている。ただなんとなく良い休日を過ごしているという実感だけがある。あるいは錯覚かも知れないが、それでもその錯覚を潔しとする心のスペースが確保されてゆく。それなりに俺も歳を取ったのかなと思う。刺激的な娯楽も良いが、このようにゆったりと流れる時と、何もなさを善き哉と噛みしめる心のゆとりを。しかし思い起こしてみると小学生の頃からこんなことをしていた気がするので、要するにただ散歩が好きなだけである。案外に存在していない。してくれていない。皆目的を持って道を歩いており、その目的を全うするために歩を進めている。六義園がいかに並んでいても、六義園に入園するという目的をもって家を出たのであれば、やはり入園を果たすのだ。私もそうであったならもう少し人生がラクになるのかも知れないという気持ちと、目的を持ち目的通りに事が運んでたまるかという気持ちが相克している。だから答案の留保として、だらだらと適当に歩いている。

夕刻部屋に戻る。読み止していた小説を読んでいると、夕方のチャイムが流れる。中野区のチャイムはドヴォルザーグの家路である。実家の東久留米市では夕焼け小焼けが流れていた。17時。部屋は相変わらず薄暗いが陽光はまだ残っている。昼がもったいないので再び目的もなく自転車にまたがり、周辺を彷徨する。夕焼けが綺麗だった。異様な寂しさを休日が終わる億劫さにすり替えてみるが上手く嵌らない。1日の終わりは平日も休日も平等に寂しいものなのだ。

酒を飲みながら、テレビを見ながら、文章を書いている。何もない。何もない文章を書いている。但し明確な結果だけがある。ブログが更新される。私は洗濯物を取り込む。